これが樫樽熟成長期貯蔵酒「百年の孤独」の始まりである。

 焼酎「百年の孤独」には、他の焼酎とは違う明確な個性が3つ以上あった。

(1)焼酎は無色透明であるが「百年の孤独」は樫樽貯蔵でやわらかな琥珀色をしている。

(2)焼酎のアルコール度数は25度が多いが「百年の孤独」は40度という高濃度の原酒である。

(3)コルクのラベルやボトルを紙で包むパッケージデザインは他の焼酎とはまったく違っていた。

(4)さらに「百年の孤独」という個性的なネーミングである。

酒造元黒木家百年の歴史と重ねて
自分の思いの全てを注いだ焼酎

『百年の孤独』という小説がある。1960年から70年代にかけて、ラテンアメリカ文学のブームがあり、その代表的な作家のひとりにガブリエル・ガルシア=マルケス(故人)がいた。マルケスの代表作の1つが『百年の孤独』である。

 劇作家・寺山修司(故人)は昭和56年(1981)、『百年の孤独』を演劇として上演し、さらには翌年に『百年の孤独』を映画作品として創ったが、マルケスと係争になり上映することができなかった。

 昭和58年(1983)、寺山修司は死去する。翌年、映画は『さらば箱舟』と改題され、原作クレジットの削除を条件に公開された。私は映画『田園に死す』以来、寺山修司を敬愛していた。

 昭和60年(1985)、私は、熟成させていた樫樽貯蔵の焼酎を製品化し「百年の孤独」と命名して発売した。

 1985年という年は、奇しくも、初代が焼酎を造り始めた創業明治18年(1885)から100年目の年である。

「百年」という言葉は私を引き寄せ、離れなかった。「百年の孤独」と「黒木家百年の歴史」が重なっていたのだ。

 同時に、「百年の孤独」という命名は、寺山修司への弔いであり、オマージュでもあった。私は何かに導かれるように「百年の孤独」と命名するしかなかったのだ。

 以来、もうすでに40年の時が流れた。

 ボトル・パッケージの横に言葉を入れている。

《When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again.》

 昭和39年(1964)、私の敬愛するジャズ・ミュージシャン、エリック・ドルフィーが37歳でベルリンで死去する。その27日前にオランダで録音した名盤『ラスト・デイト』の最終曲「Miss Ann」の演奏後に、まるで遺言のように語った言葉だ。