同様に、古代エジプトでも小型のヤマネコが飼われていた。おそらくネズミ、サソリ、ヘビなどを追い払うためだと思われるが、肥沃な三日月地帯の身分の低い猫とは少し事情が異なる。

 エジプトの猫は害獣駆除の役割を果たすだけでなく、やがて古代エジプトの神々、とりわけ女神バステトと結びつけられるようになったのだ。

 猫に対する崇拝の念は高まり、猫を傷つけることを禁止する法律まで作られた(猫を殺すと死刑)。やがて猫は特別な存在として大切に飼われるようになる。飼い猫が死ぬと手厚く葬られ、家族は全員、眉を剃り落として喪に服した。

 食器に描かれた美しい猫の絵から、3500年前には、ヤマネコが人間の家庭にすっかり入りこんでいたことがうかがえる。

 だが、神殿では猫はバラ色の人生を送ることはできなかった。崇拝には、神や女神を喜ばせるための捧げものが必要となる。バステトの場合、それは猫のミイラだった。

 当時広まっていた保護や観賞以外の目的でも、神殿では大きな建物でたくさんの猫が飼育されていた。若いうちに殺してミイラにし、女神への捧げものとして売るためだ。だが、なかには繁殖のために殺されずにすんだ猫もいたにちがいない。

神殿の飼育所で暮らすことで
猫も社会性を身につけていく

 猫と人間の関係の研究に光を投じたのが、エリック・フォーレとアンドリュー・キッチナーだった。

 ふたりは、この人間の飼育下での継続的な繁殖をベリャーエフによるギンギツネの実験になぞらえ、古代エジプト人が意図せずにヤマネコの家畜化を進めたことを「歴史の偶然」と表現している。

 この神殿の猫が生き延びたのか、それとも逃げ出して、家庭で飼われていた猫と入り混じったのかはわからないが、神殿の飼育者が気に入った猫をペットとして飼っていた可能性はある。

 多くの猫が詰めこまれた神殿の飼育所では、肥沃な三日月地帯の集落にくらべて、より効果的な猫どうしのコミュニケーションが必要だったことは想像に難くない。これが猫の世界における新たなサインの発展のきっかけとなったとも考えられる。