古代エジプト人たちは、対象物の特徴を捉えることに長けていた。

 おそらくそれは最初の王が出現し、統一王朝を樹立した紀元前3000年頃よりも数千年前から、サハラ砂漠へとつながるナイル河の西方に暮らしていた彼らの祖先たちの一部が岩絵を継続的に描いてきたからなのだと思う。

 サハラ砂漠をトヨタランドクルーザーのような四輪駆動車で回ると、巨大な岩場の陰に数多くの岩絵(写真13)が描かれていることがわかる。

実は日本語とそっくり!?古代エジプトの象形文字に隠された、漢字との意外な共通点同書より転載

 古代エジプト文明は、そのような岩絵を描いてきた人々の末裔が作りあげたものでもあるのだ。

 絵で視覚的に物事を相手に伝えてきた祖先たちは、環境の変化に伴いナイル河畔に定住するようになり、そこで文化・習慣あるいは言葉の異なる他の民族と交わるなかで、緩やかにナイル世界の住人となっていった。その過程でコミュニケーションツールとしての絵画的記号であるヒエログリフを創作したのである。

 それゆえヒエログリフの創造こそが偉大なる古代エジプト文明誕生の原動力であったと言えるであろう。

 そして同じ文字と言葉を共有するようになった人々は、コミュニケーションを利用した共同作業・相互理解に長けていたことから、ピラミッドや巨大な石造の神殿群を建造することができたのだ。そしてそれはなんと約3000年も続いたのだ。

イシス神殿の壁に残された
最後のヒエログリフ碑文

 最終的にローマ帝国による古代エジプト文化の否定があった紀元後4世紀、異教徒に対する迫害が激しく行われた。一部の例外を除いて多神教世界であったエジプトは、徐々に一神教世界に染められていったのである。

 ヒエログリフ、ヒエラティック(編集部注/古代エジプトの筆記媒体・パピルスに書く時に使う、ヒエログリフを筆記体にしたような神官文字)、デモティック(編集部注/日常生活で使われていた民衆文字)は使用されなくなり、人々に忘れ去られてしまったのである。古代エジプト独自の文字の使用の停止こそが古代エジプト文明の終焉と言えるのかもしれない。