イスラム法による政教一致と
石油価格高騰が生んだ中東の緊張
1978年当時、外務省の中東専門家も含め、内外の多くの識者は「イランで起きたイスラム革命なるものが半世紀近くも続く」とは予想していなかったと思う。かく言う筆者も偉そうなことは言えない。中東専門家1年生だった当時は「見るもの聞くもの全て初めてのことばかり」で「さっぱり分からん」状態だったからだ。
されば、ここは原点に戻り、イラン革命が現代史に与えた影響を粛々と振り返ってみよう。巷の歴史書によれば、
◎イラン・イスラム革命とは、1979年、シーア派宗教指導者ホメイニに率いられたイスラム勢力がイランのパーレビ朝から政権を奪取し、イスラム教に基づく国家を出現させた政治的変革である。
◎革命政権は1979年から国号をイラン・イスラム共和国と改め、シーア派のイスラム法学者が指導する国家として再出発した。
◎革命の混乱を避けるべくメジャーズ(国際石油資本)がイランから撤退したことを受け、石油等資源の国有化に踏み切り、資源保護の立場から石油輸出を制限する措置を打ち出した。
◎ホメイニは、シーア派の十二イマーム派の教義に忠実な「ファキーフ(イスラム法学者)」による統治を掲げ、それまでの欧米文化の模倣を否定して厳格なイスラムの日常生活の規範を復活させた。
◎裁判ではシャリーア(イスラム法)が適用され、映画や文学、絵画もイスラムの教えに沿ったもののみが許され、女性には外出時のヒジャーブ(頭髪と肌の露出をさける衣服)の着用が義務づけられた。
◎1979年11月には、革命政府が米国に亡命した元国王の身柄引き渡しを要求したが、米国がこれを拒否したため、革命支持のイラン人学生が激高し、首都テヘランの米国大使館占拠事件が起きた。
といったところだろう。
要するに、内政的にはイラン国内で極めて宗教色の強い、イスラム法を理念とした政教一致政策が導入され、経済的にはエネルギー資源の国有化により石油の国際価格が急上昇し、第二次オイルショックをもたらした。







