「諸国鉄砲改め」は基本的には治安対策ですが、「生類憐れみの志」を広めるために徹底が図られたとも理解されています。
綱吉政権は「生類憐れみの志」によって世は安定し、安らかな生活を送ることができると考えました。
しかし、「鉄砲改め」は民に安寧をもたらしませんでした。当時、多くの農家は獣害対策のために鉄砲を持っていましたが、実弾が使えなくなったので、食害に苦しむようになったのです(注4)。
幕府は、はじめのうちは、直属の鉄砲方を各地に差し向けて獣害対策にあたっていましたが、対象地域が広がって手が回りきらず、やがて農民にも銃の使用を認めるようになりました。
「猪鹿逐詰」当時の政策は、獣害があった場合は獣を追い散らし、それでも獣害が収まらない場合は鉄砲で打ちとめて良い、というものでした。このため、法律を守りながら獣害に対応するためには、まず獣を追い払い、止むを得ない場合には駆除するという手順が重要でした。「猪鹿逐詰」では追いつめた全てのイノシシを鉄砲などで駆除したのですから、「止むを得ない場合」を満たしていたとは思えません。
しかし、「退治」という言葉を避けて駆除を強調しないように計画を説明するなど幕府の政策に十分に気を遣っていたので、大目に見られたようです(注5)。
徳川綱吉政権以降
鉄砲は農具のひとつに
綱吉が1709年に亡くなると、捨て子の保護などの人間の福祉に関わるものを除いて、「生類憐れみ」関連の法令の多くは廃止されました。
「獣害対策で殺生しない」という制約がなくなったので、威鉄砲での実弾使用が認められ、各村の鉄砲数の制限も緩められ、鉄砲は獣害対策のための農具として普及していきました。
童話「ごん狐」は貧しい農民の兵中が悪戯キツネのごんを火縄銃で撃つ場面で終わります。
母を亡くして寂しい生活を送る兵中に心を寄せたごんは、栗や松たけを届けます。贈り主に心あたりのない兵中は不思議に思っていましたが、ある日ごんが自宅に忍び入るのを見つけます。悪戯に来たと勘違いした兵中が引き金を引き、「ごん、お前だったのか」と悟った時にはごんはぐったりと目をつぶっていました。
『動物たちの「増え過ぎ」と絶滅を科学する』(齊藤 隆、ミネルヴァ書房)
私は、おとなになってこの物語を読み返した時に貧しいはずの兵中が鉄砲を持っていることに違和感を持ちました。そして、物語を劇的に終わらせるために作者がちょっと不自然な演出をしたに違いないと考えました。
でも、私は間違っていました。「ごん狐」の時代、鉄砲は各村に普通にある農具の1つでした。
(注4)塚本学(1993)『生類をめぐる政治』平凡社。
(注5)丸山大輝(2023)「元禄~宝永期における対馬藩の在村鉄砲と『猪鹿逐詰』」『長崎県対馬歴史研究センター所報』3:66-84。







