ニュースな本渡辺恒雄氏(左)と、江川卓氏 Photo:SANKEI

読売ジャイアンツのオーナーを務めていた渡辺恒雄は、常々「野球のことはまったく知らない」と公言していた。しかし、球界の憲法といわれた野球協約に精通したことで制度変更などを主導し、日本プロ野球界に絶大な影響力を持った。そんな渡辺と球界の関係に迫る。※本稿は、NHK大阪放送局報道番組チーフ・プロデューサーの安井浩一郎『独占告白 渡辺恒雄 平成編 日本への遺言』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

野球協約の穴をつき
江川卓電撃入団にこぎつける

 渡辺恒雄と野球との接点は、巨人軍オーナーに就任する一八年前、球界を揺るがせた大事件に遡る。

 一九七八(昭和五三)年のドラフト会議(新人選手選択会議)前日に、読売巨人軍と電撃的な入団契約を結んだ江川卓をめぐる騒動、いわゆる「江川事件」である。

 作新学院高等学校のエースだった江川は、甲子園で一大会最多の六〇奪三振を記録するなど、「怪物」の異名を取る超高校級の投手だった。高校三年時の一九七三(昭和四八)年のドラフト会議では、阪急ブレーブスから一位指名を受けたものの入団を拒否し、法政大学に進学していた。法政大学でも一年時からエースを務め、東京六大学では歴代二位となる通算四七勝を挙げ、四連覇の原動力となるなど大活躍を続けた。

 そして大学四年時の一九七七(昭和五二)年のドラフト会議では、クラウンライターライオンズ(翌年から経営権が西武グループに移行、現西武ライオンズ)から一位指名を受けたが、巨人軍もしくは首都圏のセ・リーグを希望していた江川は再度入団を拒否し、アメリカに留学していた。