渡辺恒雄氏 Photo:SANKEI
2024年12月に死去した渡辺恒雄。彼は約40年も読売新聞「主筆」の地位に座り続け、「生涯新聞記者」を貫いた。記者としての能力は誰もが認めるところだが、平成期には絶大な影響力を背景に政治への関与を強めていった。権力の監視というメディアの役割を超えた、渡辺の記者人生を追う。※本稿は、NHK大阪放送局報道番組チーフ・プロデューサーの安井浩一郎『独占告白 渡辺恒雄 平成編 日本への遺言』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
半世紀近くに渡って
主筆の座にあった渡辺恒雄
平成期、渡辺恒雄は日本最大の発行部数を誇る新聞社の社論を指揮し、「提言報道」を強化していった。
渡辺が社論を決定する権限は、「主筆」という職制に基づくものだ。主筆について社内の規定には「筆政を掌る」と短く記されている(注1)。具体的には新聞の論調や紙面作成の方針を決め、報道機能、言論機能の両面を指示し、調整権限を有する職制とされている。
渡辺が専務取締役論説委員長兼任の主筆に就任したのは、一九八五(昭和六〇)年、五九歳の時である。就任後に渡辺は社報で「新聞記者として最高の名誉であり感激の極みである」と心境を綴っている(注2)。
以来、一九九一(平成三)年の社長就任後も一貫して主筆のポストを務め続け、「死ぬまで主筆だ」「社長を辞めても主筆だけは放さない」と語っている(注3)。
(注1)朝倉敏夫『論説入門』中央公論新社、二〇一〇年、一〇九―一一〇頁。
(注2)読売新聞社編『読売新聞一二〇年史』読売新聞社、一九九四年、四八二頁。
(注3)渡辺恒雄『天運天職 戦後政治の裏面史、半生、巨人軍を明かす』光文社、一九九九年、『天運天職』一七頁。







