江川との交渉権をどの球団が獲得するのか、翌一九七八(昭和五三)年のドラフト会議に注目が集まる中、巨人軍は社会を驚愕させる動きに出る。ドラフト会議前日、電撃的に江川との入団契約を結んだのだ。
この契約の根拠とされたのが、野球協約の規定である。当時の野球協約第一三八条には、前年のドラフト会議で球団が得た選手との契約交渉権は、翌年のドラフト会議の「前々日」に喪失すると明記されていた。
会議前日は球団間の暗黙の紳士協定として準備にあてる日とされていたが、巨人軍は野球協約の盲点であるこの「空白の一日」を突いたのだ。
巨人軍は「ドラフト会議前日はどの球団も独占交渉権を持たないため契約可能」と強硬に主張したが、世論や球界は騒然となり激しい批判を浴びた。
巨人と作新学院を
つないだ渡辺恒雄
この「空白の一日」の前後から、江川の関係者に接触していたのが渡辺だった。
江川の出身校である作新学院理事長を務め、衆議院議長や自民党副総裁を歴任した船田中と親しかったためだ。船田はかつて渡辺が昵懇の関係を築いていた大野伴睦派に所属していたこともあり、親密な間柄にあったのだ。
ただ渡辺は江川獲得をめぐる巨人軍の対応について、疑問を感じていたという。
「江川は作新学院出身でしょう。あの学校は船田一族が経営していて、衆院議長だった船田中さんが理事長を務めていた。僕が船田さんと親しいというので、それ以前に、江川が巨人に入るように頼んだこともあったんですよ。僕は江川がどんなすごいピッチャーかは知らなかったけど、そう頼んだのは事実だ。
(中略)
『空白の一日』を使って江川を巨人に入団させようと、実際に動いたのは船田さんの秘書で、今、代議士になっている蓮実進君。彼が内閣法制局長官のところまで行って、空白の一日を使って入団するのは可能かどうかを調べたんだ。そうしたら、合法という返事だったという。船田さんも内閣法制局長官をやったことがある人だから、『現職の長官が言うんだから、大丈夫だ』となって、あんなことになってしまった。
やはり非常識だと僕は思うね。ああいうやり方はいかんよ。まずい。だから、僕も入団発表をやるなんてまったく思っていなかった。当時、僕は政治部長から編集局総務になっていて、やると決まった日の深夜に蓮実君から初めて電話で知らされた。船田さんとの関係で知らせてきたんだろうな。それは驚いたよ(注1)」







