映画雑誌の仕事はまさに天職のように思えたが、しばらくすると、邦子はペンネームを使って、会社の仕事とは別に、ライター業を始めることになる。
そのときの心境を、22歳の邦子はエッセイ「手袋をさがす」で綴っている。
「ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつき合ってみよう」
気に入った手袋が見つからず、ひと冬を手袋なしで過ごしたことで、自分の性格がよくわかったのだという。
昼は出版社に勤め、夕方からは週刊誌のライターとして原稿を書き、さらにその合い間にラジオの構成作家として台本の原稿を書くようになった邦子。すると、新しい挑戦が新しい仕事を呼び、テレビやラジオの台本を手がけるようになったという。
1960年に31歳で、脚本家として独立。邦子が生涯で手がけたテレビドラマの脚本は1000本以上、ラジオは1万本超えというから、すさまじい活躍ぶりだ。
順風満帆の脚本家人生に
訪れた大きな転機
人気脚本家として順風満帆の邦子だったが、45歳のときに乳がんの手術を受けると、仕事をすべてキャンセルし、自宅での療養生活に入った。そんなとき、エッセイの連載を依頼されたことをきっかけに、文筆活動へ。小説でも才能を発揮して、1980年には短編連作で直木賞を受賞している。
『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』(真山知幸、笠間書院)
文章を書くことについて、邦子はこんなふうに語っている。
「文章っていうのは、先にあるもんじゃなくて、たくさん思ったり、感じたりしなかったら、きっと一行も出てこないもんだっていう実感はありますね」
日々さまざまなことを経験し、感じることが大切なのだ。
【下積みから考える】
毎日の生活の中で、自分が感じたことや考えたことを大切にしているだろうか。どうしたら、自分や人の感情を大切にできるだろう。
毎日の生活の中で、自分が感じたことや考えたことを大切にしているだろうか。どうしたら、自分や人の感情を大切にできるだろう。







