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日本のデフレが
長引いた理由
中国経済をめぐっては、「日本の失われた30年をなぞっている」という指摘が増えているようだ。デフレ圧力、過剰投資、消費不振、若年失業の拡大など、1990年代に起こった日本のバブル崩壊と、中国の不動産バブル崩壊は実際に日本と重なるものが多い。
だが、結論から言えば、中国が直面している問題は、日本よりもはるかに厄介である。なぜなら、中国では不良債権問題が「民間の失敗」ではなく、国家そのものが失敗しているからだ。
ここでは、中国経済の構造的行き詰まりを整理したうえで、台湾有事や対外戦略でもこのデフレ不況の「出口」になりえない理由、さらに日本にとって中国の体制崩壊がなぜ必ずしも望ましいことではなく、むしろ大きな厄災になりうることを考える。
日本の「失われた30年」のきっかけは1990年代に起こったバブル崩壊であるが、これが30年という長きにわたったのは、不良債権処理が遅れたことが最大の要因だった。
なぜ不良債権処理が遅れたかというと、1990年代初頭の日本はまだ日本経済への自信がさほど損なわれておらず、「一時的な景気後退にすぎない」と考える者が多かったことが挙げられる。
さらに、不良債権処理の根本である金融機関への公的資金の注入について、「バブル崩壊の元凶である」銀行を税金で救うことへの世論の強い反発があった。その反発があまりにすさまじく、政府も及び腰になった。
そのため、不良債権の実態隠しと先送りが長引き、小出しの資本注入が続いたことで、ゾンビ企業が温存されることになった。この点は与野党に関係なかった。「痛みを伴う改革」を口では訴えながらも、世論に迎合して公的資金の注入に手を付けなかったのである。
また、日本の金融行政も制度的にあまりに未熟だった。「不良債権」の定義は二転三転し、銀行検査も顔見知りどうしの形式的なものにとどまり、破綻処理の法制度も整備されていなかった。
結局、公的資金の注入ができる環境が整うまでには、1997年の北海道拓殖銀行と山一証券の相次ぐ破綻や、それにともなう金融危機という最悪の状態に陥り、「公的資金投入もやむなし」という世論の雰囲気ができるまで、政治はこの状態を放置したのである。







