田中九信は生涯を愛媛県北宇和郡などで僻地(へきち)医療に尽くした。段畑農業の重労働のため農民が脊柱(せきちゅう)湾曲異常になりやすいことに気づき、その治療に腐心した。
睡眠時無呼吸症の研究者である宮崎総一郎、老年精神医学の堀口淳、耳鼻咽喉(いんこう)科の医師で耳と脳の連繫研究の第一人者である中川雅文らもいる。
脳神経外科医でねりま健育会病院(東京都練馬区)院長の酒向(さこう)正春は、2004年に「リハビリ医」に転向、「攻めのリハビリ」をしている。ミスタープロ野球・長嶋茂雄(25年6月死去)のリハビリ医も務めた。
宇和島東高校のルーツは
1876年開校の変則中学南予学校
宇和島は東京や大阪から見れば辺境の地で、かつて評論家の大宅壮一(旧制大阪府立茨木中学・現茨木高校卒)は宇和島を「四国の終着駅」と評した。
江戸時代には伊達家10万石が領し、幕末には開明君主といわれた8代藩主伊達宗城(むねなり)が治めた。宗城は蘭学を積極的に導入し、医学や兵学の研究に力を入れた。
教育熱心な風土が醸成され、1876年には、変則中学南予学校が開校した。これが、宇和島東高校のそもそものルーツだ。東京都立日比谷高校のルーツである東京府第一中学の創立は1878年。宇和島の方が2年早いのだ。
変則中学を継承する形で1896年に、愛媛県尋常中学校南予分校が創立された。すぐに宇和島中学校として独立した。
戦後の学制改革で男女共学の新制宇和島第一高校となったが、1年半後には宇和島商業高校を統合して現在の宇和島東高校となった。略称は「宇東(うとう)」あるいは「東高」だ。
校訓は「敬愛 自律 進取」。旧制宇和島中学を卒業して母校の7代校長に就いた井上彦次郎が1969年に制定した。校風は「質の高い文武両道」と「質実剛健」だ。1学年は7学級で、男女はほぼ半々だ。
卒業生の約10%が簿記、歯科衛生士などの専修・各種学校に進む。90%弱の生徒は現役で4年制大学に進学する。浪人する生徒は数%だ。
2025年春の大学進学実績(25年4月入学)を見ると、国公立大に現役だけで129人が合格している。25年3月の卒業生数は272人だったので、その比率は47%だ。大学別には、東京科学大1人、名古屋大3人、大阪大、九州大各4人、愛媛大11人、高知大8人、香川大7人など。東京大、京都大には、数年に1人程度の合格者を出している。
私立大には、早稲田大2人、松山大75人、近畿大31人など。







