僕には、人を拒絶する「最も醜いベンチ」に見える。
ベンチの手すりだけではない。公園の東屋の屋根は外され、駅の待合室は改札の中へと移された。すべてに「ホームレス対策」の意味合いがあったと思う。
居場所がない人々をなんとか引き受けてきた場所が町から消えていった。格差が広がり、困窮者が増え、ホームレスが顕在化した頃から町は疲れた人が横になれる場所を奪い始めた。
事件がこの「最も醜いベンチ」で起こったことには意味があるように思う。
最も小さくされた人を排除する町の中に設置された「排除ベンチ」ともいえる場所が事件現場となったことにこの社会の闇を見る思いがする。
社会的弱者はいのちを
守る権利すら与えられない
もし、小学生がバス停で夜を過ごしていたならばどうだろう。大騒ぎになっていたと思う。心配されながら1カ月も放置されることはまずない。
しかし、相手が大人であり、かつホームレスの場合、強烈なブレーキがかかる。これを差別という。
2019年10月。台風19号が首都圏を直撃した。テレビでは「いのちを守る最大限の努力を」との呼びかけが繰り返された。そんな中、ホームレス状態だった人が台東区の避難所に駆け込んだ。しかし、「ここは区民のための避難所だ」と入室を断られ、嵐の中へ押し返された。
実際、避難所には区民以外の帰宅困難者や外国人旅行者なども避難していたことが後日判明。区長が謝罪コメントを発表する事態となった。
経済格差が問題となっている。今や格差は「いのち」にまで広がっている。「大事にされるいのち」と「ぞんざいに扱われるいのち」。「いのちの分断」が社会に広がり続けている。
2016年7月に(神奈川県相模原市の)「津久井やまゆり園」で起きた事(注釈/重度障害者は生きる意味がないいのちだと主張した犯人により19人が虐殺された)は、「いのちの格差」を明示した事件だった。私たちは、この分断を乗り越えることができるだろうか。(注1)
(注1)事件の詳細については書籍が多数出版されている。事件を風化させないために読んでもらいたい。ちなみに『やまゆり園事件』神奈川新聞取材班、幻冬舎文庫の「解説」は僕が書いている。







