かけられない、かかってこない携帯電話を持ち続けた田中さんは、いつの日か、その電話に再び誰かが連絡してくることを待っていたのではないか。いつの日か、懐かしい人々に電話をかける日を待っていたのではないか。しかし、その夢はもう叶わない。

 最大の「教養」をもって田中さんのことを「想像」したい。「電源の入らない携帯電話」を持ち続けた路上生活者の田中さんのことを考え続けたい。彼女の思いを「想像」したい。それがあるべき「教養」なのだ。

 それができたなら、次に私たちは連想するのだ。この社会で「電源の入らない携帯電話」を握りしめている人が他にもいるであろうことを。今、この時に、すでに鳴らなくなった携帯電話を「この世界とのつながりの証拠」であるかのように握りしめている人々を。

 そのイメージが湧いたなら、携帯電話が再びつながるためには何をすべきかを考えるのだ。

 すべては「想像」から始まる。私たちは「教養ある人」でありたい。そうでなければこの国は「野蛮人の国」で終わる。

 二度とこのような事件を繰り返してはいけない。だから、僕は彼女のことを考え続けたいと思う。