──視線を斜め下に落とし、渡辺さんはしばし考える。そのわずかな時間がとても長く感じられる。
渡辺:まあ、あんまり面白くないかもしれないけど、クオリアの死っていうのは、結局「私の消失」ですよね。ちなみに、クオリアというのは主観的な体験、例えば視覚で言えば「見える」というようなことをいいます。
──「見えるという感覚」、それがクオリア。今、目の前にパソコンのスクリーンが見える。私にはパソコンが「見える」。おそらくパソコンには、その付属のカメラに私が映っていたとしても、目の前の私が「見えるという感覚」はないだろう。私にはクオリアがあって、パソコンにはクオリアがない。それが意識をもつか否かの違いか?
渡辺:そのクオリアがないと、ゾンビになってしまった状態といえます。「哲学的ゾンビ」という言葉がありますが、それはつまり主観体験であるクオリアをもたない状態、ということ。もし哲学的ゾンビに人がなってしまったら、実質、それはその人の死なのかなと思いますね。
デジタル不老不死の技術は
20年後に完成する!?
──「ところで、渡辺さんが目指す意識の機械へのアップロードという、デジタル不老不死の技術は、ご自身もやはり望むのですか?死ぬのが怖い私はもちろん受ける気満々なのですけども」
渡辺:もちろん!
──そりゃそうだ。渡辺さんの望む技術なのだ、愚問だった。
「その技術はいったいいつ可能になりますかね?それまで健康に気をつけて生きなきゃいけない」
渡辺:20年後と言ってはいますが、ここだけの話、5年前から20年後と言っているんですよね。なぜなら、まとまった研究資金が必要になるからです。とてもありがたいことに、やる気があって優秀な院生たちに囲まれて大学の一研究室として研究を進めてはいますが、ただ、そのレベルからだいぶ加速していかないと、とても20年後には実現しません。残念ながら、ストップウォッチのスタートボタンがまだ押せていないのです。







