森岡:宗教を求める気持ちのかなりの部分は、やはり死の恐怖を何とかしたいということでしょう。ですが、宗教の中に入っちゃうと、それより大事なことが出てきます。それはやはり神や仏ですね。神とか仏というものの偉大さや、真理が一番大事なことだから、それに比べると死が怖いなんていうのは大したことじゃない。

 というわけで、歴史を見てみれば、タナトフォビアは、宗教をつくり上げ、維持してきた大きな原動力だったんですね。ところが、ここ100~200年の間に近代社会が世俗化して、相対的に宗教の力が弱まってきた。その部分を何か別のものが引き受けてくれるかというと何もない。そういう理由から、脱宗教化が進んでいる社会ほど、タナトフォビアで苦しんでいる人は多いと思います。

──死の恐怖は、単に死が怖いという話じゃない。この世界がどうして存在するのか、なぜ自分という存在が今ここに在るのか、その根本を問う問いだ。何千年もかけてつくり上げた答えの1つが宗教である、という理解。自分の思ってきたことの裏付けをしてもらっているようだ。

死の恐怖から逃れる装置が
せっかくあるのになぜ使わない?

森岡:宗教者とこういう話をすると言われるんです。「神や仏を信じる道があるのに、なぜそこに来ないのか」というふうにね。「その道はいつも開いているから、いつでも入ってきてください」と。

──「森岡さんは、その道に入ったことがありますか」

森岡:ないです。なぜかわからないけど、自分の場合、宗教を信仰できない。超越者の存在を信じるということが、できないんです。

 それは、初めから「はい、できません」じゃなくて、宗教的なものに引かれる気持ちはすごくあって、実は自分のことを宗教的な人間だと思っています。友人は宗教を信じる人のほうが多いし、宗教的な世界とは縁がとてもたくさんある。手触りがよくわかる。

 だから、そういう道に若い時から何度も行こうとはしたんだけど、大きな関門があった。それはやはり信仰の道です。絶対者あるいは超越者への信仰が、どうしても自分のこととしてできない。