──信じたいのに心から信じることができない、その苦悩なのか哀しみなのかが垣間見える。

森岡:私の場合は、死を解決してくれる神とか仏を最初から拒絶しているわけじゃなくて、求めているのに信仰というところではね返されてしまう。宗教を求めているのに入れなかったというのが、私の内面のプロセスですね。

森岡:だから、宗教なしで生と死の問題は考えないといけないというふうに、若い時になりました。その道として哲学が自分の場合はあると思い、哲学の方法を採ってきたということです。

──同じ道だ、と思った。超越者の存在を信じたくて何度も門前を通る。そう、何度も門をくぐろうとするのだ。それなのに、なぜかどうしても、その門をくぐることができない。心のどこかでその道はあると、その道に進みたいと、いつもいつも願っている。そして、その存在を感じるような気がするのだ。でも、それがただの自分の願望なのか、本当のことなのか、私にはよくわからない。

死んで無になる恐怖と
自分が死んでも世界が続く恐怖

森岡:だから私は哲学の道を進んでいるんですけど、ポイントは何かというと、自分の頭で考えて自分で納得したいという気持ちがすごく強い。

 これは哲学的だと思います。もちろんいろんな人の考えを借りたり、学んだりするんだけれども、その上で最終的には自分の頭でもう1回全部を組み立て直して考えて、最終的に自分の頭で納得して自分の生き方にしたいというふうに私は考えています。これは、昔から哲学と呼ばれていることとほぼ同じだと思うんです。

──自分の頭で考えて納得したい。哲学とは、世界とは何か、自分とは何かという根源的な問いを、自分の頭で深く思索する学問だ。それはまさに、宗教なしに生と死の問題を探究し、自分の理性で再構築する作業である。

森岡:私が哲学者になったのは、「私の死」に出会ったからです。本当に不思議なんですけど、小学校の高学年の時に、突然「私が死んだらどうなるんだろう」という考えが何の予兆もなく天から降ってきた。「何かきっかけがあったんですか?」とよく聞かれるんですが、全くなかった。何にもなくて、突然私が死んだらどうなるんだろうと思った。