「平田はクルマを運転して連れていっただけですが、どこかの段階で、林、あるいは中川、あるいは他の誰かから父をどうしたと聞いた可能性もあったので、私は被害者参加人として平田に法廷で問いました。でも、知らない、と。又聞きもない、と平田は証言したんです。私の疑問は他のメンバーの裁判でも解き明かされることはありませんでした」

父の殺害に関わった2人からの
賠償金の支払いは途絶えている

 假谷実は平田と裁判前に「和解書」を結んでいる。この和解書で重要なのは、「和解成立後も可能な限り、事件の真相の究明に協力することを約束する」という条項が盛り込まれている点だ。

 賠償金は1000万円。金額は平田側からの提示だが、すでに400万は逃亡中に貯めていた資金等から支払っているため、実質600万円を毎月5万円ずつ10年かけて支払うこと──。

 假谷は事件に関わった井田喜弘と松本剛に対しても20年払いの合意書を結んだが、両名とも途中で支払いは途絶えている。

「最初の合意書は10年というものだった。20年にすると、毎月、ヒラタマコトという名前で振り込まれる通帳を見なきゃいけない。それもどっかで早く終わりにしたいというのがあった。加害者との関わり、詫びてるとか、カネを払っているとしても、平田は父を殺したメンバーの1人なわけです。彼と何回会っても彼から得るものはない。いっしょに時間を費やすメリットがない。どっかで早めにケリをつけたいと思ったんです」

出所後に平田と面会すると
職を転々としていた

 出所時、平田はこんな手紙を假谷に宛てている(令和4年4月21日付)。刑期満了の数日前だ。

〔(前略)6年勤めたミシン工場を離れ、今は満期前舎房でこの6年間を振り返っています。4月25日を以て刑期は満了となりますが、予想していた通り「罪を償った」という実感は湧いてきません。そのせいか、今の段階では釈放の解放感も感じられません。それでもこうして最後の一通をご遺族様宛に出せるのはありがたいことですし、一つの区切りになると考えています〕