
日本の高度成長期を象徴する長期経済政策「所得倍増計画」。1961年度から70年度までの10年間で実質国民所得を2倍にするというこの政策の出発点は、1959年初頭、一橋大学教授の中山伊知郎が提唱した「賃金二倍」論にあった。ただし中山の議論は、生産性の上昇によって賃金は倍増し得るという理論的主張であり、設備投資と産出の比例関係を前提とするマクロ経済モデルに基づくものだった。
この理論的枠組みに着目したのが、当時岸信介内閣で通商産業大臣を務めていた池田勇人である。池田は旧大蔵官僚でエコノミストの下村治をブレーンに据え、成長構想を具体化し、これを「月給2倍」という政治スローガンへと転化させた。「倍増はインフレを招く」との批判もあったが、1960年7月に池田内閣が発足すると、同年12月、所得倍増計画は閣議決定され、国家戦略として動きだす。
だが、その構想が正式決定に至る前の「ダイヤモンド」1960年6月11日号で、前出の中山が部会長を務める経済審議会総合政策部会が公表した「所得倍増計画」要綱に対し、加納久朗(1886年8月1日~1963年2月21日)が4ページにわたって懸念を表明している。横浜正金銀行(後の東京銀行、現三菱UFJ銀行)で国際金融に携わり、戦後は企業経営や日本住宅公団初代総裁を歴任した実務家である。
当時、加納は7カ月余りにわたる欧米視察旅行から戻ったばかりだった。世界の各都市と日本を比べた上で、「所得倍増論には六つの根幹が抜けている」として、「水、動力、道路、住宅、都市計画、港湾」を挙げている。いずれも高度成長を物理的に支える社会基盤である。
1950年代末の日本は、慢性的な輸送力不足、港湾能力の制約、電力・工業用水の不足といったボトルネックを抱えていた。東名・名神高速道路は建設途上で、幹線鉄道も逼迫していた。民間設備投資が拡大しても、それを全国規模で支える交通・エネルギー・物流の基盤が整わなければ、高成長は持続しない。倍増という高い目標を実体経済に落とし込むには、社会資本の整備は“選択肢”ではなく“前提条件”だったのである。
加納の指摘が政策形成にどれほど直接的に影響したかは分からない。しかし、その後策定された正式計画では、輸出拡大、民間設備投資の促進、技術革新、人材育成と並び、「社会資本の充実」が重要な柱に位置付けられた。そして実際に、高速道路網や港湾、電源開発などの整備が加速し、物流コストの低下、重化学工業の大規模化、民間投資の誘発が相乗的に進む。その結果、所得倍増は10年を待たず、約7年で達成されたのである。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
この理論的枠組みに着目したのが、当時岸信介内閣で通商産業大臣を務めていた池田勇人である。池田は旧大蔵官僚でエコノミストの下村治をブレーンに据え、成長構想を具体化し、これを「月給2倍」という政治スローガンへと転化させた。「倍増はインフレを招く」との批判もあったが、1960年7月に池田内閣が発足すると、同年12月、所得倍増計画は閣議決定され、国家戦略として動きだす。
だが、その構想が正式決定に至る前の「ダイヤモンド」1960年6月11日号で、前出の中山が部会長を務める経済審議会総合政策部会が公表した「所得倍増計画」要綱に対し、加納久朗(1886年8月1日~1963年2月21日)が4ページにわたって懸念を表明している。横浜正金銀行(後の東京銀行、現三菱UFJ銀行)で国際金融に携わり、戦後は企業経営や日本住宅公団初代総裁を歴任した実務家である。
当時、加納は7カ月余りにわたる欧米視察旅行から戻ったばかりだった。世界の各都市と日本を比べた上で、「所得倍増論には六つの根幹が抜けている」として、「水、動力、道路、住宅、都市計画、港湾」を挙げている。いずれも高度成長を物理的に支える社会基盤である。
1950年代末の日本は、慢性的な輸送力不足、港湾能力の制約、電力・工業用水の不足といったボトルネックを抱えていた。東名・名神高速道路は建設途上で、幹線鉄道も逼迫していた。民間設備投資が拡大しても、それを全国規模で支える交通・エネルギー・物流の基盤が整わなければ、高成長は持続しない。倍増という高い目標を実体経済に落とし込むには、社会資本の整備は“選択肢”ではなく“前提条件”だったのである。
加納の指摘が政策形成にどれほど直接的に影響したかは分からない。しかし、その後策定された正式計画では、輸出拡大、民間設備投資の促進、技術革新、人材育成と並び、「社会資本の充実」が重要な柱に位置付けられた。そして実際に、高速道路網や港湾、電源開発などの整備が加速し、物流コストの低下、重化学工業の大規模化、民間投資の誘発が相乗的に進む。その結果、所得倍増は10年を待たず、約7年で達成されたのである。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
国家が行うべき根幹を成す
六つの重大な前提が抜けている
「ダイヤモンド」1960年6月11日号
先ごろ、政府が発表した所得倍増計画(中山伊知郎部会長)を見ると、今までの経済の伸び率を根拠にして、何がどのくらい伸びる、また何がどのくらい増すというように書いてある。けれども、私は、向こう10年間に、国家が行うべき根幹を成す、六つの重大な前提が抜けているということを感ずるのである。
それは、水、動力、道路、住宅、都市計画、港湾である。







