もう少し早い可能性もあるのですが、子供の額や顔に口紅などで目立つ印をつけたのち鏡を見せると、その印に触れる行動がみられるのが、このくらいの年齢です。
鏡に映る像を「自分」と認識していると判断できる時期だと考えてください。
「自分は気が利く」と
カン違いした人の末路
ただし私たちは、このような身体的な自己への認識のみならず、自分の思考や感情、ひいては自分自身のありようの認識という内的な自己意識、さらには、過去・未来の自分の理解という時間的な自己意識も持っています。
このような自己意識の広がりは、自分を評価するという心も生み出します。優れた自分でありたいと願い、そのように自分を認識しようとする、また、他者にもそう認められたいと思う心です。
自己を良いものだと評価したい、またその評価を維持したいという気持ち、また他者にも高く評価してほしいという気持ちは、私たちの中に強く存在します。
自己評価や他者からの評価を気にする心は、良い自分であるための努力を生み出す原動力です。
評価を気にして努力するというと、あまり良い印象がないかもしれませんが、ネガティブな評価を受け止めてその理由を考えることで、改善への道が見えますし、ポジティブな評価は、努力を継続する気持ちにつながります。
その意味で、評価に無関心でいることは、望ましくないのです。
しかし、それと同時に、評価への関心が人間関係において周囲との軋轢を引き起こす可能性を持つことにも注意が必要です。
他者に配慮しているようで、実は自分への評価が先立っているなら、「気が利く私」と思い込んでおこなっている行為が、他者にとっては迷惑なものになるかもしれません。
自己評価にとらわれた心は、自分に注意が向いているがゆえに、他者の視点や感情を軽視してしまう可能性があり、他者の気持ちに寄り添った言動ではなく、自分の満足感を得たい気持ちを満たすための言動になってしまうかもしれないのです。







