批判の声は高まるも
政権を揺るがすには至らない
キージンガーの就任に、他のドイツ人も黙っていたわけではなかった。著名な哲学者のカール・ヤスパース、作家のギュンター・グラスらも反対の声を上げ、ヤスパースはそれを機にスイス国籍を取得したほどだった。
ただ、キージンガーを追い落とす「決定打」には至らなかった。マスコミの反応も次第に慣れたものになっていった。「何を言っても、もう首相になっているのだから」ということだった。ちなみにドイツの過去の責任を問う論客の1人だったグラスは2006年、自身がかつてナチの武装親衛隊員だったことを告白し、大きな論争を呼んだ。
粘り強く反キージンガーのキャンペーンを続けながらも、ベアテは、何か強烈なものが必要だと考えるようになった。世間を驚かし、新聞やテレビが取り上げざるを得ないような、何かだ。
1968年3月、ベアテはボンに行った。まずは西ドイツの連邦議会だった。
傍聴席のベアテは緊張していた。果たしてできるだろうか。キージンガーが演壇に立った。立ち上がり、叫んだ。「キージンガー、ナチ、辞任しろ!」
キージンガーは演説をやめ、動揺した様子を見せたという。議場にいる人々の目がベアテに注がれた。守衛が走ってきて、口をふさがれ、つまみ出された。警察で事情を聴かれたが、解放された。
翌日、ベアテはドイツの新聞に拳を振り上げる自分の写真が掲載されていることを確認した。キージンガーの過去に触れたものもあった。
この年7月の朝日新聞には、ナチ犯罪の裁判にキージンガーが証人として出廷したことを紹介する外電記事が掲載されていた。被告の弁護側からの申請によるもので、かつて外務省の放送局にいたため、ユダヤ人虐殺に関する外国の報道を知っていたのではないか、などと質問された。
キージンガーは、当時の外国の報道は覚えていないし、外務省の高官会議でもユダヤ人の強制移送について話した記憶はない、と証言したという。







