ハードウェアとしての技術がどれほど進化しても、それを運用する人間の判断や経験が伴わなければ、期待する成果にはつながりません。これは農業に限らず、多くの分野に共通する話です。重要なのは、技術の有無ではなく、それを支える「農家のソフト」があるかどうかです。私自身、農業法人の経営に関わる中で、最終的に品質を左右するのは現場に立つ人の力だと実感しています。
農村共同体が育ててきた
「農家のソフト」という暗黙知
それでは「農家のソフト」とは何なのでしょうか。それは単なる「経験則」や「勘」といった言葉では捉えきれない、かなり学術的に奥行きのある知のかたまりです。
たとえば、人は自転車の乗り方を言葉で完全に説明できなくとも、一度身体が覚えれば乗りこなせるようになります。このような、言語化されていなくても実践の中で発揮される知は「暗黙知」とも呼ばれます。農家が「今年は虫が多い」あるいは「この葉の反り方は雨の前兆だ」と感じ取る能力は、マニュアル化や数値化が難しく、まさに「身体に埋め込まれた知性」と言えるでしょう。
それではなぜ、このような暗黙知が生まれるのかというと、人間はもともと頭だけでなく体を通じて世界とつながりながら物ごとを理解していく存在だからです。そして農業もまさに、体を動かしながら周囲の変化を感じ取るような営みです。土の湿り気や風の流れ、空の明るさといった微妙な変化を、農家は日々、体全体で受け止めています。
こうした感覚が積み重なっていくなかで、言葉にはしづらいけれど確かな判断や対応ができるようになっていくのです。同時にこのような知は、個人の中だけにとどまりません。農村共同体における語りや慣習を通じて育まれ、ときにぶつかり、磨かれもする。個人の知はやがて共同体の知識へと置き換えられていくこともあります。
自然と向き合う農家の知は
AIでは置き換えられない
さらに、農村共同体に共有された知は、共同体の中で自然に受け継がれていきます。新たに加わった若者たちは、日々の作業に参加するうちに少しずつそれを体得し、それらはやがて身体に深く刻み込まれていきます。そしてその知は、状況を瞬時に見抜くような確かな「勘」へと結びついていくのです。







