農業は、単なる仕事の手順や経営戦略として存在しているのではなく、日々の営みの中で培われる感覚や判断、それによって積み重ねられる成果によって支えられています。その価値を、「売れるかどうか」というわかりやすい基準でしか見ないのであれば、私たちはいずれ、本当に高度な農業を見失うことになるでしょう。

「農業」という言葉の意味が拡散し、さまざまな業態がその名のもとに語られるようになった今、私たちはあらためて、「農業とは何か」という問いに向き合う必要があります。表面の技術や設備だけでは測れない、本質的な違いを見極めることが求められているのです。

農家が培った判断力や感性は
先進設備では補えない

 私はむしろ、どれだけ先進的な設備が導入されていようと、品質管理が徹底されていようと、そこに「作物の状態に敏感に反応しようとする姿勢」や「育てる過程への感受性」があれば、それは十分に農業と呼んでよいのではないかと考えています。

 私はそのような、作物と向き合う農家の持つ判断力や経験、そして感性を、花岡氏の言葉に触発されて「農家のソフト」と呼んでいます。

 反対に、どれほど伝統的な手法を守っていても、天候にも土の状態にも無関心で、ただ手順を機械的に繰り返しているだけ、すなわち農家のソフトを持っていないのであれば、見た目は農業でも本質的には農業ではないのかもしれません。

 つまり、農業とは手法の問題ではなく、自然とどう向き合うかという「姿勢」の問題であるというのが私の見解です。変化に応じて判断を重ね、その中で最善の結果を目指す。この柔軟な対応力こそが農業の本質であり、それは企業的で工業的な農業の現場であっても確かに受け継がれていると私は考えます。