大井町トラックスの成功から見える
高輪ゲートウェイシティの可能性

 現地に赴き、沿道の店舗を眺めながら歩く人々の姿を見て、その試みは成功するのではないかとの印象を得た。平日の1日を眺めただけであるが、これまでのビルに閉じ込められた「まち」ではなく、開かれた商業施設の可能性を感じたからである。

 もちろん、この手法が全ての開発に適用できるわけではない。地元との共存共栄が中長期的に成功する保証はないし、施設ごとに立地、流動、沿線文化が異なり、これらをふまえたコンセプト、収益性など、さまざまな条件がある。それでも、今後の近郊型開発のモデルケースとして大きな可能性を秘めていることは間違いない。

 実際、2028年12月に竣工予定の「船橋都市計画市場1丁目地区計画」では、「南北に延びる海老川沿いの人の流れと船橋駅につながる東西の人の流れの結節点として、地域の利便性の向上及び憩いと賑わいの創出」を目指し、通路、広場など開放的なまちづくりを予定している。

 そこで思い至ったのは高輪ゲートウェイシティの今後である。品川駅に近い5、6街区の整備スケジュールは未定だが、高輪築堤の保存・公開を議論する「『国際交流拠点・品川』における高輪築堤等の価値・あり方に関する有識者検討会議」では、5、6街区の保存について、具体的な設計案を元に議論が進んでいる。

 2026年2月に開催された19回検討会では、高輪ゲートウェイシティに乗り入れる区画道路4号の設計を変更することで、日本初の鉄道信号機を設置した区間を現地保存する案が浮上し、実現に向けた検討が進んでいる。ただし、あくまでもこれは遺構を破壊せずに後世に遺すといった趣旨であり、高輪築堤が5、6街区のまちづくりに組み込まれるわけではない。

 オフィスや都市型ホテルの高層化は必然だが、人々が行き交う、活力あるまちづくりには、開かれた「通り」が必要である。高輪ゲートウェイシティが堅調だとしても、賑わいが見えにくい、ビル中心のまちづくりはもったいないように思う。高輪ゲートウェイシティと比較して、大井町トラックスはそれほどまでに魅力的であった。

 高輪ゲートウェイは駅前広場を中心に、各施設やパブリックスペースを結ぶ南北歩行者ネットワークを整備したが、計画発表時の想像より姿より活気がない。安直な発想かもしれないが、高輪築堤という歴史的な「通り」をもっと、人々の流れを作る仕掛けとして活用できなかっただろうか。もはや時間切れかもしれないが、品川駅に近い5、6街区はビルで完結せず、回遊性のあるまちになってほしい。

 JR東日本は2024年に策定した中長期ビジネス成長戦略「Beyond the Border」で、不動産を含む生活ソリューション事業の営業収益を2033年度までに2023年度比で2倍に拡大する目標を掲げている。その額、約8470億円であり、広域品川圏8個分の増収が必要な計算だ。

 物価・人件費の高騰、人手不足で建設業界が悲鳴をあげる中、スケジュール通り、競争力のある都市開発が可能なのか。高輪と大井町を通じて成長戦略の希望と課題が見えてきた。