こうした状況は教育の機会均等の原則に反しており、まず思いつくアプローチは、大学教育費の無償化かもしれない。大学無償化によって、大学進学を希望しながらも経済的理由で諦めざるを得なかった人々の進学機会が開かれる可能性は非常に高く、「地方女子」にとってもメリットは大きいように思える。
結論から述べるならば、拙速な教育費無償化に筆者は反対である。誤解のないように述べると、教育は権利であり、「誰もが望めば大学で学べる社会」を実現することができれば、教育費は無償であるべきだと考えている。しかしながら、大学進学を地位達成の「手段」とみなす考えが根強い現代社会のあり方が変化しないのであれば、大学教育費無償化は「新たな自己責任」を生み出す可能性が高い。
どの大学に進学するかが
社会的地位に直結
そもそも、日本で大学教育費無償化をすぐに実現することは難しい。先の『教育劣位社会』において、日本社会は「大学教育の恩恵を受ける本人が教育費を負担するべきだ」という受益者負担の意識が根強いことがわかっているからだ。また、そうした人々の意識、政策、制度によって、教育費の公的負担が増大しなかった歴史的経緯がある(*注6)。受益者負担の意識が強い背景には、「大学へ進学するか否か」(学歴)と「どの大学へ進学するか」(学校歴)が、その後の社会的地位や経済状況に差を生み出している実感があるからだろう。
現実に差はある。社会学者、吉川徹の『日本の分断』によれば、日本社会には「学歴」「世代」「性別」の明確な分断があり、「大卒/非大卒」によって収入や職種、職業の安定性が異なり、特に若年非大卒層は苦しい立場にあることがわかっている。学校歴も同様である。国公立大学や入試選抜度の高い私立大学は、それ以外の大学と比べて相対的に専門職や大企業へ入職しやすい(*注7)。
*注6 中澤渉『なぜ日本の公教育費は少ないのか――教育の公的役割を問いなおす』(勁草書房、2014年)。
*注7 豊永耕平『学歴獲得の不平等――親子の進路選択と社会階層』(勁草書房、2023年)。ただし、「大卒/非大卒」による差の方が大きい。







