そんなとき、転機が訪れる。日立製作所からセラミック真空管のオーダーを受けて、求められる仕様を満たすべく、悪戦苦闘していたときのことだ。

 何とか先方の要望に応えようとしていたときに、新任の技術部長から「今後はほかの者にやらせるから、君は手を引いてくれ」と言われてしまう。

 現場の困難には耐えられても、理不尽な仕打ちには我慢ならなかった。稲盛はこう言い放ったという。

「それでは会社を辞めます。今日限りで辞めます」

 慌てて慰留する役員たちをあとにして、稲盛は27歳にして会社を辞めることとなった。

資金も技術もないなら
せめて人材を大切にする

稲盛和夫が語った「絶対にリーダーにしてはいけない人」の明白な特徴写真はイメージです Photo:PIXTA

 退社を決めた日、稲盛のもとには、特磁課の部下たちが押しかけてきたという。そして、8人の仲間と会社を立ち上げることとなる。

 このベンチャー企業こそが、のちに「京セラ」として知られるようになる、「京都セラミック」だ。

 だが、設立当初は、資金もなければ、技術もまだ十分とは言えなかった。稲盛はこう心に決めたという。

「私にはおカネも技術もない。ないないづくしだが、人の心を頼りにして会社経営をしていこう」

 まずは目の前のメンバーを大切にする。稲盛は「私は皆さんを信じ皆さんと心を一つにして一緒にやっていきたい」と熱弁。心から信頼できる関係性を、稲盛は従業員との間に築こうとした。

 上司からの心ない言葉で退社を決めた稲盛だからこそ、リーダーシップを発揮するには、信頼関係の構築が不可欠だと考えたのだろう。

 仕事がうまくいけば、みなで喜び、うまくいかなくても酒を振舞って、慰め合う。いつしかそんなチームができあがっていた。