南蛮貿易が起源の老舗菓子店「千鳥屋」
千鳥屋は、1637年に現在の佐賀県佐賀市で創業した「松月堂」をルーツとする。鎖国時代、海外と唯一の窓口だった長崎・出島を通じて砂糖がもたらされ、長崎~佐賀~小倉を結ぶ長崎街道を経て、広く日本に普及した。カステラや金平(こんぺい)糖は当時の南蛮貿易で入ってきたポルトガル発祥のお菓子として知られるが、長崎街道の界隈には、砂糖を利用して南蛮由来の菓子を作る菓子屋が多く生まれた。松月堂も、カステラや丸ボーロなどを作る菓子屋として同地に誕生した。
その後、代々続いた松月堂は1927年に同じく長崎街道沿いの福岡県飯塚市に支店として千鳥屋を創業する。1939年には佐賀の松月堂を閉じ、飯塚の店を千鳥屋本店とした。
炭鉱の町、飯塚は重労働の後の甘いお菓子が好まれ、多くの菓子屋が誕生した。筑豊炭田の好景気に乗り、地元の銘菓として「千鳥饅頭」が定着したのもこの頃だった。千鳥饅頭は白餡をカステラ生地で包み、南蛮菓子の製法を取り入れた焼き饅頭で、千鳥屋の創業者が考案したものだ。
1975年3月、新幹線が博多駅に乗り入れると、瞬く間に千鳥饅頭の人気は福岡土産として全国区になった。
地域ごとに兄弟が独立、相続を巡る対立が表面化
1954年、創業者が亡くなると、妻が千鳥屋を継承した。そして、息子たちも事業に参画し、飯塚を本店として福岡全域、大阪、東京へと事業を拡大していった。
1962年にはロールクッキーにクリームを詰めたお菓子「チロリアン」を発売すると、千鳥饅頭とチロリアンが千鳥屋の看板商品となった。
千鳥饅頭、チロリアンの知名度が全国区になったことで、息子たちは千鳥屋の経営を地域ごとに分けて担当するようになった。そして1980~90年代にかけ、それぞれが別会社を設立して独立していった。
長男が東京の(株)千鳥屋総本家、次男は福岡の(株)千鳥饅頭総本舗、三男は大阪の(株)千鳥屋宗家、そして創業の地である飯塚本店は五男が当社・(株)千鳥屋本家を設立して経営にあたった。こうして、それぞれの会社が「千鳥屋」を名乗り、各地に存在することになった。







