たとえば、SNSで猫の動画をクリックしたとします。それなら、自分は“可愛さ”や“安心感”に弱いのかもしれません。政治や社会問題の記事を選んだのなら、“理不尽を正す物語”に惹かれるのかもしれません。旅行ブログに夢中になるのなら、“異国の景色や文化を体験したい欲求”が強いのかもしれない。
そうした小さな選択の理由を丁寧に見つめ直すことが、自分の「好き」の断片を映し出します。これを繰り返すうちに、「自分は意外にこういうキャラクターに弱い」「この色やデザインが知らぬ間に心をつかんでいた」「考えたこともなかったが、実はこういう物語に夢中になる性格だった」といった発見があるのです。
さらに、自分をまったく違う環境に置いてみるのも有効です。
リアルな体験で得たものは
自分だけの財産
私は漫画を描き始めた頃から、物語の舞台には必ず取材に行くようにしてきました。ネットで調べれば映像や写真は手に入りますが、それだけでは「その場所の何が好きか」は確かめられません。
実際に訪れてみると、雪に閉ざされた町でも、ただ寒さに苦しむだけでは終わりません。白い息が夜空に舞い、足元の雪がぎゅっぎゅっと音を立て、冷気の匂いが鼻をつきます。あまり知らなかった遺跡を歩いたり、美術館を歩き回ったり、野生動物を実際に見に行ったりするうちに、「この遺跡は妙に胸を打つなあ」とか「この美術館に併設されたレストラン、いいなあ!」とか「うわ、動物の集まる場所は遠くからでもフンの匂いがするんだ!」といった感覚が自然と浮かび上がります。
『イマイチはなぜ生まれるのか? 脳が生み出す「通らない企画」』(加藤元浩、講談社)
その五感で刻まれた記憶は、作品を描くときに必ず蘇ってきます。
ネットで得られるのは情報にすぎません。体験で得られるのは、自分だけの財産です。
そして創作に必要なのは知識の量ではなく、「自分が心から好きだと感じた」というたしかな記憶でした。“好き”は頭で理屈をこねて選び取るものではなく、出会い、触れ、体験し、手を動かす中で確かめていくものです。これは時間のかかることです。
だからこそ、自分の「好き」を探すには、まず動いてみることが大切です。
何かに触れ、観察し、描き、そして振り返る。その繰り返しの中で、自分だけの視点が少しずつ育っていきます。これは唯一無二の創作の原点であり、努力を支える燃料でもあります。他人に理解されなくても、自分が「好きだ」と感じたものには、それだけで揺るぎない意味があります。だから、遠慮はいりません。







