「こんな将来をデザインしても意味がない」「将来の可能性を狭めるのではないか」
そもそもキャリア教育が始まったのは、社会に出て働くことをイメージができない学生が多い、という問題意識からである。キャリアについて考えさせるのは、もちろん大事なことだ。問題はそのやり方である。キャリアデザインを中心としたキャリア教育が今の時代にそぐわないのだ。
実際、キャリアデザインの授業で10年後の自分のキャリアをデザインさせられた学生たちも、こんな疑問を口にする。「こんな会社でこんな仕事をしていたいと書いたものの、実際に仕事をしている姿を想像できず、意味がないと思った」
こうなっていたいという将来のキャリア像を想定し、そこから逆算して今から準備しておくことを考えようというのはあたかも合理的なように聞こえるが、キャリアを規定する諸条件は常に変動するし、予測なしに想定外の変数が次々に投入されてくるという現実を考えると、「何のためのキャリアデザインなのか?」という疑問が出てくるのはもっともなことといえる。
「キャリアデザインをするには、仕事や目標を1つや2つに絞って考えなければならず、それによって将来の可能性を狭めてしまう気がした」
このような疑問を持つ学生もいた。確かに、今のうちから将来の展望を固定的に考えて、そこから逆算して今すべきことを決めるということは、他の可能性に対する準備をしないということにもなる。「自分の可能性を狭めてしまうのではないか?」という疑問を持つのは当然と言える。
「どこの会社でどんな職種になるかで、そこから先のプランがすべて変わってくるので、先のことをデザインするなんて意味がないと感じた」
「採用面接でキャリアデザインをよく聞かれ、それっぽいことを答えているが、実際は考えれば考えるほどわからなくなってくる」
このような疑問を持たない方がおかしいのではないか。
「好きなこと探し」「やりたいこと探し」を軸に将来の自分のキャリアをデザインさせる教育が、いかに若者たちを混乱させているかがわかるとともに、就職後にやることになった仕事に気持ちが入っていかない者が増えている理由もわかるだろう。これは、まさにキャリア教育の弊害と言わざるを得ない。







