人間とクマの間にあった
「バッファー」が消失
ただ、この50年で大きく変わったのは山の中身、つまりどこが森で、どこが耕作地かという内訳が大きく変わったのである。この40年から50年の間で日本社会が大きく変わり、少子高齢化や都市圏への一極集中による過疎化、自然資源への依存の低下などが起こった。
昔であれば、山菜やキノコだけでなく、薪、柴、堆肥(たいひ)にする落ち葉を取りに人は山に入っていたが、次第に人は山に入らなくなっただけでなく、中山間地域から撤退し、山から人は姿を消していった。耕作地は手入れがなくなり、農作物を作らなくなればそこは耕作放棄地になる。耕作放棄地の面積は、日本で徐々に広がってきている。耕作という作業は、土地が森に戻ろうとする流れを止め続ける作業である。耕作放棄地が森に戻っていくことで、クマを含む動物が住める場所が広がっていった。
実際に、ツキノワグマの場合、過去40年間で耕作放棄地が広がったところに分布がじわじわと広がってきた。人工林が増えたというより、ただ人がいなくなった場所が森に戻っていっただけである。植林をするわけでもなく、ただ自然の摂理に合わせて森に戻っていく。さらに、木々は炭や木材などとして伐採されることもなく、ただ放っておかれることで成長する。成長した木々は、クマの食べ物となる果実を多く実らす。
「山の総面積」は変わっていないが、「山の質」はクマをはじめとする野生動物にとって向上し続けてきた。
かつては奥山にクマがすみ、平地に人が住み、中山間地域に人がいて林業や農業をしており、その中山間地域がクマと人を隔てるバッファー(緩衝地帯)になっていた。
しかし、農業人口の高齢化と後継者不在、過疎化などによって中山間地域が消失し、バッファーとして機能していたエリアがなくなってしまった。一方、動物たちはしたたかに、人がいなくなったところに分布を広げていく。その結果、人とクマの間の物理的な距離が縮まってきた。人とクマの居住地が隣り合うような、あるいは重複するような状況が各地で生じてきたのである(図3)。
同書より転載 拡大画像表示
街の近くで生活する個体は
人間への警戒心が低くなる
『クマは都心に現れるのか?』(小池伸介、扶桑社)
そして、奥山と人里の間に存在していた「人間が利用する空間」が消えることは、クマと人との物理的な距離だけでなく、山から人間の気配が消えたという意味で、クマにとっての心理的な障壁、両者の間にあった緊張感も徐々に薄れてきたと思われる。
人の生活圏と隣接して生活してきたようなクマは、世代交代していく間に、奥山にいるクマに比べて人への警戒心が下がってきた可能性がある。
注意したいのは、警戒心が下がることは、イコール凶暴化ではない。以前は警戒していた人に対し、警戒もせず、脅威とも思わないようなクマが増えてきているのではないかという意味だ。







