極論すれば、かわいい存在でなくてはいけない人たちと、絶滅してゼロになってほしい人たちに分かれる。そこに地域的な差異、都市と地方、行政と市民の考え方の違いなどが加わって問題をより複雑化する。愛玩動物と野生動物を混同している人が多いが、野生動物と愛玩動物は決定的に違う。

多くの人はクマの生態を
ほとんど知らない

 クマというのは不思議な動物である。日本人でクマという動物を知らない人はいないぐらい、誰でも知っている。例えば、赤ちゃん服売り場に行くと動物のマークがついている服が並ぶが、大抵その動物はクマかウサギかイヌである。それぐらいクマは身近だし、誰でもクマという動物を知っている。

 しかし、多くの人はクマがどういう動物か、実物や本当の姿をよく知らない。それなのに、かわいいと思った人はかわいいと思い、一方で猛獣だ人食いだというイメージを持つ人もいる。

 クマに関するこうした印象や感情などがあって、2025年のようなことが起きてしまうと、かわいいと思っている人たちは「クマかわいそう」となるし、猛獣だと思っている人たちは「ほら見ろ」というふうになる。二極化した人たちに対し、煽ればネットでバズってしまう状況が背景にあり、社会全体が異様な雰囲気になってしまえば、対策をする現場でいったい何をしなければいけないのか、何を優先すべきかというところが見えづらくなってしまう。

 もちろん、やらなければいけないことははっきりしている。それを行政は粛々とやっていくだけなのだが、人がやることなので、社会や世論の情勢などにどうしても影響を受ける。

 この異様なクマ騒動により、行政なり国がやらなければいけないことがスキップされてしまう危険性があるのは事実だ。

騒動で可視化された
5つのクラスター

 2025年のクマ被害報道に対する社会の反応は、単純な「賛成」「反対」では整理できない複雑さを見せた。一般視聴者やネットユーザーの反応を分析すると、少なくとも5つの異なる立場が浮かび上がってくる。