「もはや戦後ではない」が
流行語になった評論家の中野好夫
文系では、英文学者で評論家だった中野好夫が名高い。旧制徳島中在学中にスパルタ教育に反発し、中退した。旧制第三高校(京都)を経て東京帝大・英文学科卒。1956年に発表した論文『もはや戦後ではない』が経済白書に引用され流行語となった。
東大教授の身分でありながら「大学教授では食っていけない」と辞職し、文化評論、翻訳、社会評論あるいは平和と民主主義の運動など、多方面で活躍した。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の翻訳は、傑作といわれる。
喜田貞吉は戦前の日本の歴史学者だ。東京、京都、東北の3帝大で教壇に立った。古代史、建築史に多大な貢献があった。法隆寺再建論争では、再建論の論陣を張った。
新京都学派の一人で西洋経済史の河野健二は、京大人文科学研究所所長・教授、京都市立芸術大学長などを歴任した。
憲法学の田上穣治、英文学の井上義夫、フランス文学者の石川美子、近世文学の延広真治らが卒業生だ。延広と前述の阿部寛治は、城南高校1年生の時に同じクラスで、2人とも東大教授になった。
国文学者、歌人の村崎凡人(ただひと)は村崎学園のオーナー家の生まれだ。徳島文理大学を設立するなど村崎学園を幼稚園から大学院までの総合学園に育て上げた。
写真家の立木義浩や
幸福の科学の大川隆法も
文芸評論家では、荒正人と佐古純一郎がOBだ。
詩人・小説家で月刊『囲碁春秋』を創刊した野上彰、作家・オカルト研究家の山口敏太郎らも卒業生だ。
写真家の立木義浩が著名だ。徳島市内の実家がNHK朝の連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』のモデルになった。1980年に山口百恵の自叙伝『蒼い時』の写真を担当した。
中田浩資はフォトグラファー、新居猛は家具デザイナー、高津住男は俳優だ。
メディア関連では、尾形道夫が『暮しの手帖』元編集長、毎日新聞記者出身の小西和人は『週刊釣りサンデー』を創刊した。産経新聞記者出身のジャーナリスト・久保紘之(こうし)もいる。







