しかし、いいだしたのは私であっても、これをはやらせたのは私の責任ではない。その責任が、放送の番組製作者にあるのか、それとも世にいう「投書族」「批評族」にあるのか、あるいは放送以外の活字マス・コミの側にあるのか、そこらは議論がいろいろあってもよいが、いずれにしても、世間が「一億総白痴化」という言葉に飛びつくなんらかの原因があったことだけはまちがいない。
六大学野球連盟を怒らせた
「何でもやりまショー」の愚行
私が、はじめてこの言葉を使った直接の対象は、「何でもやりまショー」(編集部注/1953年から1959年まで日本テレビで放送されていた、同局初のバラエティ番組)という番組であった。
それも、出演者が早慶戦のスタンドで慶応側の応援団席に入って、早稲田の旗を振り、それでたいへんな騒ぎがおこったのをカメラで撮ってテレビに使った。
そのため、六大学野球連盟が、そのテレビ局の中継を禁止するという騒動にまでなった。ごていねいに、その出演者が観衆からつまみ出されるところまで映してあったので、私は「一億総白痴化」といったのである。
ちょうど、その直前、「大東京祭り」(編集部注/東京開都500年を記念して、昭和31年の都民の日に催された祭り)という、なにかコジツケがましい行事に大金を投じた、文字どおりのお祭りさわぎがあった。
それともう1つ「文春祭り」の文士劇(編集部注/文藝春秋社主催で昭和9年から昭和45年〔戦時中は中断〕まで開催されていた、著名な作家たちによる祭り)で、文士が厚化粧をして、役争いまでしている。
自分たち同士、座興にやるのが勝手だが、大劇場を借り切って、高価な衣裳をつけ、高名なプロ役者のコーチを受けている。この3つを合せて、まさに天下の三大愚挙じゃないか、といったわけである。
余談だが、現在でいえば、これに南極観測を加えて四大愚挙といいたいところだ。
最近茅学術会議会長(編集部注/南極観測参加に尽力した茅誠司)に会ったとき「あんたは、はじめから、こんなに金がかかるものと知っていたのか」と聞いたところ、「はじめは1億円の予算だった。私はじめ、学術会議のだれも、こんなにかかるとは思わなかった。知っていれば、だれも賛成しなかったろう」という返事だった。







