第五高女の最初の校舎は
新宿コマ劇場跡地にあった
富士高校の最寄り駅は、東京メトロ丸ノ内線の「中野富士見町」駅だ。以前の所在地も中野区富士見町だったが、現在の富士高校の住居表示は弥生町に変わっている。
前身の第五高女の最初の校舎は新宿・歌舞伎町のコマ劇場(現在は新宿東宝ビル)があった場所に建てられた。1948年に現在地に移った。
戦後の学制改革の過程で、男女共学の富士高校となった。校名は当時の住居表示にちなんで決まった。
旧高女の伝統から、都立高校全盛期の60年代まで第3学区(中野区、杉並区、練馬区)において女子の最難関高校だった。
67年に都教委が学校群制度を導入したことにより、ほとんどの都立伝統校の大学進学実績は急落した。
しかし、富士高校は例外だった。難関大学に多数を合格させていた西高校(旧制東京府立第十中学)と同群になった。このため進学実績は向上し、80年代初頭にかけ東京大合格者は毎年度、30~40人を数え、ベスト20位内に入っていた。
学校群制度の廃止後は、国立や私立の6年制中高一貫校の伸長などによって、富士高校の進学実績は他の都立高校と同様に低迷した。
2010年には付属中学が開校し、同校は中高一貫校に変わった。中学校は1学年4クラス、高校は3クラスだ。21年度からは高校の募集は停止された。
学園紛争があちこちの高校で頻繁に起こった60年代後半に、富士高校でも制服廃止の主張があり、70年度末に制服着用が自由になった。頭髪や持ち物の制約も一切なく、自由な校風で知られた。しかし、13年度から付属中学に倣って、高校でも制服着用義務が導入された。
21年度には文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。
中高一貫校のメリットを生かした教養課程を作成している。最大の特色は「富士未来学」と名付けた探究活動だ。中学1年の6月に富士山の近くの宿泊施設で1泊2日の「探究合宿」を実施して、「探究とは何か」を話し合うことからスタートする。
高校1、2年生には、オーストラリアでホームステイをしながら姉妹校のヒルクレスト・クリスチャン・カレッジで学校生活を送るプロジェクトも組んでいる。
26年春の大学入試(26年4月入学)では、現役・浪人合わせ東京大3人、東京科学大4人、一橋大7人、北海道大、東北大、神戸大、九州大各1人が合格した。
私立大には延べ人数で、早稲田大34人、慶応大18人が合格した(速報段階の集計値)。







