そこは音声を録音していなくて、後姿のロングショット。
長回しだったので、なかなかカットの声がかからず息が詰まりそうになって、思わず大きなため息をついてしまった私。
すると健さんが、あの声で、「思い出すんですか?」と呟いた。
「えっ??」
一瞬面食らい、我に返ってやっとわかった。健さんは私が夫を刑務所に迎えに行った場面を想像していらしたのだ(編集部注/獄中結婚した学生運動の闘士・藤本敏夫氏が1974年に出所)。
私はそんなことは考えもしていなかったが、交差点に佇んでいた時も、それぞれスタッフの皆さんの胸の中にもそのような想像が働いていたのかもしれない。
そうか!プロデューサーの「加藤登紀子さんとして出演してください」の言葉の意味は、そこにあったのだ。
高倉健さんのヒット作、「日本侠客伝シリーズ」「網走番外地シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」は1960年代の学生運動に関わった学生たちのバイブルだった。
多くは、人のために命をかけることを厭わない純粋な思いをもったヤクザが、金の力で社会を弄ぶ新興ヤクザに抹殺されようとするストーリー。ついに最後の怒りを込めて討ち入りをするシーンに学生たちは自分たちの闘いを重ね、力をもらったのだ。
直接は学生運動に関わりのない健さんだが、そんな学生たちの姿を、映画館の客席の後ろから見ていた、と言われる。
私の夫、藤本敏夫も猛烈な健さんファンだった。忙しい中でも2人で深夜映画を見に行ったことが何度もある。
学生を魅了するために、「高倉健を研究し尽くした」と言っていた。
撮影から20年近くも経った2002年、私の夫が他界した葬儀の時、鴨川自然王国(編集部注/藤本氏が設立した農園)に健さんから大きなお花が届いた。
私は万感の思いでそのお花を眺めたのだったが、驚いたのは、その翌年、ひっそりと親しいものだけで迎えた1周忌にもお花が届いたことだった。
時代を全身で受け止め、役として演じながらも芝居の中の人物に身も心も重ねて生きてきた健さんの気持ちをそこに見るようで、本当に嬉しかった。







