自分の至らなさを反省し
大きく成長するきっかけに

 児玉は8カ月ほどで約束手形が落とせなくなり、「店は閉店する」と宣言、あっ気なく倒産した。1969年(昭和44年)秋になる頃のことだ。

 児玉は覚悟を決めていたのか、「店の後始末を頼む。後のことは大家の林さんと話し合ってくれ!」といって、神田に別れを告げた。

 神田は雇われ店長で給料取りだったが、赤字続きで約束した全額はもらえず、文なしになってしまった。神田は、「もっと出前を本格的にやるべきだった」「もっと深夜営業をやってみるべきだった」と、自分の至らなさを反省した。

 神田は、「自分が未熟で、結果として不完全燃焼で終わることになってしまい、児玉さんには申し訳ないことをした」と心の中で詫びた。

 神田は、東京に出て日本調理師協会にでも加盟し、和食の板前にでもなろうかと思った。調理技術を磨き、人脈を広げ、1人では解決できない問題も仲間と解決していきたいと考えたからだ。

 雇われ店長ではあったが、この8カ月間、神田にとっては「来来軒」の運営を実際に経験したことが、人間として大きく成長する機会となり、経営者としての目線を持つようになった。

仕事ぶりを見ていた家主から
救いの手が差し伸べられる

 神田は1969年(昭和44年)秋、28歳の時、倒産した町中華の「来来軒」の後始末をしていた。調理場の什器備品や冷蔵庫などを整理するために、買い取りを行なう中古の厨房業者を探していた。

 その時、大家・家主の林重郎が店を訪ねて来て、こういった。

「君がこの店を引き継いでやらないか?君の働きぶりを陰ながら見ていたけれども、君はお客さんに、ラーメンのスープはしょっぱ過ぎないですか?スープはもっと薄いほうがいいですか?麺の硬さはちょうどいいですか?などと熱心に質問して、少しでもお客さんが気に入るラーメンを作ろうと、一生懸命やっていた。君がこれまでの調子で頑張れば、いずれ店は必ず繁盛するはずだ。私の目に狂いはない!」(林)