職場で「傷つくこと」「傷つけること」を避けるために、組織ができること

私たちが仕事を通じて得るものは、生活の糧だけではなく、生きがいや幸福感も大きい。しかし現実には、やりたくないことや不得意なことをしなくてはならなかったり、他者との軋轢が生じたりして、心が傷つくこともある。仕事でお互いが傷つくことを減らし、幸福感を高めるためには、どうすればよいのだろうか? 医療や福祉の現場で、ケアに携わる人々の研究を通して、「傷つきやすさ」と「傷つけやすさ」の問題に向き合う大阪大学人間科学研究科の村上靖彦教授に話を聞いた。(ダイヤモンド社 人材開発編集部、アーク・コミュニケーションズ/阿部加寿世、撮影/菅沢健治)

「幸せに働く」ことが、なぜ難しくなっているのか?

 村上教授は研究を通じ、病気や障がい、貧困、差別などによって困難を抱えている人と、その支援者など、医療・福祉の現場で「ケアする人」と「ケアされる人」の語りに耳を傾けている。大学院のゼミに集う学生の多くは、看護師やソーシャルワーカー、心理職、理学療法士など、対人援助に関わる社会人だ。その一方、教養科目で学部1、2年生向けの授業も行っている。社会のさまざまな現実に向き合うなかで、村上教授は「働くこと」をどのように捉えているのだろうか?

村上 私はずっと研究者として歩んできたので、企業で働いた経験はおろか、就職活動をしたこともありません。ただ、学部生たちを見ていると、就職してから自分をすり減らしてしまう人もいて、そうした現実には疑問を感じています。働くことは本来、生きることとほぼ同義で、楽しいことでもあり、幸せの一部でもあるはず。ところが世の中では、幸せを年収などの経済的な序列で測る傾向があって、そもそも「自分にとって何が幸せか」を深く考えないまま社会人になっている人が少なくない。昨今では、SNSなどで流れてくる成功者のイメージに振り回されて、大変な思いをして働いている人も多いでしょう。

 こうした状況は、個人の幸福よりも利益や効率を優先する資本主義の問題でもあるし、資本主義的な価値観の下、勤勉に働く人を育成しようとしてきた教育の問題でもある。「働きたい」という思いは、私たちが持つ基本的な欲望のひとつですが、幸せに働くことが当たり前に実現できる状況にはなっていないと思います。

 個人の幸福と相容れない側面を持つ「社会構造の問題」について、村上教授はさらにこう指摘する。

村上 現在の社会を語ると、どうしても私は批判的になってしまうのですが、日本では長らく「良い大学に入り、良い企業に就職すること」が幸せの基準とされ、学校では子どもたちを成績によって序列化してきました。

 私はフィールドワークで刑務所の受刑者にインタビューしたことがあるのですが、何人かの方が「学校では勉強ができず、惨めだった」と話すのを聞いて、「学校が、子どもに惨めな思いをさせる場所でいいのか?」と思ったのです。本来は、子どもが知りたいことや生きていくために必要なことを教える場であって、序列化して劣等感を抱かせることは、教育とは無関係のはず。しかし実際には、序列をつける仕組みがあって、競争に勝つこと以外の「幸せの基準」を知らないまま大人になった人がたくさんいます。

 他方、30年に及ぶ不況で、日本企業の経営や雇用を巡る常識は一変しました。終身雇用が当たり前ではなくなり、非正規労働者が増え、家庭では専業主婦が少なくなり、そのなかで「ロスジェネ」や「ヤングケアラー」のように、労働市場や社会保障の網からこぼれ落ちてしまう人々が生まれています。私たちはいまも、その延長線上に生きています。

職場で「傷つくこと」「傷つけること」を避けるために、組織ができること

村上靖彦  Yasuhiko MURAKAMI

大阪大学大学院 人間科学研究科教授

大阪大学感染症総合教育研究拠点CiDER兼任教員。2000年、パリ第7大学で博士号取得(基礎精神病理学・精神分析学)。日本大学国際関係学部准教授などを経て現職。専門は哲学および現象学的な質的研究。病気・障がいのある人や貧困世帯の子ども、その支援者など、医療・福祉現場でケアする人・される人の語りに耳を傾ける。『客観性の落とし穴』(筑摩書房)、『傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと』(KADOKAWA)など著書多数。