指をくわえる女の子写真はイメージです Photo:PIXTA

文字を手書きすることに強い困難がある「書き障害」をもつ作家・朝野幸一氏。朝野氏は、自身の生きづらさについて考える中で、自身の行動や感覚にも向き合ってきた。授業中に本を読む、鼻歌を歌う、同じ持ち物を手放せない。周囲からは理解されにくい行動の裏側には、本人なりの切実な理由があるという。14歳の当事者が、自らの感覚世界を明かす。※本稿は、作家の朝野幸一『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

ひどく動揺した場合の
2つのリカバリー手段

 少数派でいることの辛さはADHDやASDなどの発達障害からくるものもある。私が感じていることをどうにか論理的に記述するために、かなり荒削りではあるが、ある仮説を唱えてみたい。

 それは、「自分がわからないこと・自分にはどうしようもできないことを回避するための行動や、自分を落ち着かせるルーティンが、多動などの様々な症状として現れているのではないか?」というものだ。私の場合は「予測できない事象」や「不安・不快な状態」への対応が大の苦手で、自分の予測が外れるとひどく動揺する。その時のリカバリー手段として、

(1)何かに注意の対象を移す
(2)何かの行動を加えて、その不安・不快な状態を快適なものにしようとする

 という2つの方法を取る。

 何もしないで座っていたり、何年も前から知っていることを先生が説明しているのを聞いているのは「何もしていない」状態に近い。イコール、不安だ。今回はこのシチュエーションを例に説明する。

 まず、(1)の例。この場合は、本を読むなり、立ち歩くなり、ひとまずの安息を手に入れようとする。つまり、主観的に直接観測される周囲の音(ノイズ)が自分のコントロールできない状況下にあることに対して不安を覚えるので、回避行動で別のところに注意の対象を移すのだ。