その背景には、カカオ栽培に必要な労働力の確保という問題がありました。
最初は現地のインディオたちが働かされていましたが、やがてアフリカから連れてこられた黒人奴隷が主な労働力となっていきます。特にフランスは、カリブ海の植民地で黒人奴隷を使い、大規模なカカオ生産を進めました。
砂糖とミックスしたことで
ヨーロッパ中で大流行
カカオがヨーロッパで広く飲まれるようになったのは、砂糖との出会いがあったからです。カカオだけだと苦みや酸味が強すぎるため、甘くする必要がありました。
このとき使われた砂糖もまた、同じく植民地で生産されていたものでした。
大西洋をめぐる貿易ルートでは、ヨーロッパからアフリカへ銃器や繊維製品が運ばれ、アフリカから中南米へは奴隷が、そして中南米で生産されたカカオや砂糖がヨーロッパへと戻っていく、「三角貿易」の形ができあがります。
17世紀のイギリスでは、ピューリタン革命を経て、クロムウェル率いる共和政政府が重商主義政策を推進しました。その一環としてカカオの産地であったスペイン領ジャマイカを1655年に占領し、砂糖やカカオのプランテーション開発が進められました。
続く王政復古期(1660年以降)にはピューリタン的規範がゆるまり、ロンドンを中心にコーヒーハウス、チョコレートハウスが誕生しました。
富裕層の間でカカオに砂糖を加えた飲料、ココアが広まり、「紅茶・コーヒー・ココア」というアルカロイドを含む3種の飲み物が、イギリスの新しい嗜好品となりました。
しかし、この頃のカカオは非常に高価で、かつ高い関税が課されていたため、ココアは特権階級のみの贅沢品でした。
19世紀になると、産業革命を経てイギリスが重商主義から自由貿易体制に転換し、カカオの関税が引き下げられたことで価格も下がります。
そこでカカオに目をつけたのが、プロテスタントの一派であるクエーカー教徒たちでした。フライ家、キャドバリー家、ロウントリー家といった同族経営の企業が、高品質のココアやチョコレートを作り出していきました。







