ペンバートン博士のコカ・コーラのレシピの革新性に気づいたのはビジネスマンのエイサ・キャンドラーでした。キャンドラーはペンバートン博士からコカ・コーラのレシピと販売権を取得すると、「夏も冬もおいしい炭酸飲料」として売り出しました。

 コカ・コーラが初めて市場に登場したとき、特に注目されたのは、そのユニークな味と効果的なマーケティング手法です。筆記体のロゴや「おいしく、さわやか」という宣伝文句は、シンプルで親しみやすいものでした。

コカインが含まれている?
謎めいたレシピが話題を呼ぶ

 コカ・コーラの初期のレシピには、コカインが含まれていました。

 このことは長らく噂されていましたが、キャンドラーはこれを否定し、後に成分の配合については「7X」というコード名を使い、その内容を秘密にしました。

 この謎めいた成分が逆にコカ・コーラの魅力を高め、販売量は1891年の2万ガロン(1ガロンは約3.785リットル)から1893年には4万8000ガロンに急成長しました。

 さらに莫大な広告費をかけて、店頭用のビラやカレンダー、ノベルティ、新聞広告などを出します。1892年、コカ・コーラの原料費が2万2500ドルだったのに対し、広告費には1万1400ドルを投入しています。

 また、ブランド名「Coca-Cola」を商標登録し、偽物の流通を防ぐための管理体制を整えました。

 発売当初は主に男性ビジネスマンをターゲットにしていたコカ・コーラは、次第に女性や子供にもアプローチを開始します。

 しかし、女性を中心とした一般消費者には、清涼飲料の代わりに「薬」を飲むことへの抵抗感があることがわかりました。

 そこでキャンドラーは、販売ターゲットを従来の「1000人に1人の客」から「数千人の客」に変更し、コカ・コーラを「薬」ではなく一般的な「飲料」として売ることにします。

 全米各地に支社や原液生産工場を建て、1894年には無料引換券を使って新たな販売店を開拓し、顧客リストを拡充しました。

原液だけを卸す戦略で
追加出資せずに販路を拡大

 女優やオペラ歌手を起用した女性向けの広告キャンペーンが功を奏し、ブランドの認知度はどんどん高まり、1899年には28万ガロンの原液を生産します。