まず、全国の有力企業と提携し、各地に工場を作る「ボトラーシステム」を採用しました。これにより、外資系企業でありながら「地元の産業」として信頼を得ることに成功しました。
また、1960年代、普及し始めたカラーテレビでCMを流し、「スカッとさわやかコカ・コーラ」などのキャッチコピーで若々しく斬新なイメージを流布しました。
ジャパンナイズド戦略としての
“甘い缶コーヒー”
そして、1960年代からの高度経済成長が、コカ・コーラの普及をさらに加速させました。
ハンバーガーやフライドチキン、焼肉といった油の多い食事が普及するにつれ、口の中をリフレッシュする炭酸飲料が人気となりました。
最初は「薬のような味がする」「色が黒くて不気味」と敬遠する声もありましたが、アメリカへの憧れから、テレビCMによるイメージ戦略、さらには自販機による圧倒的利便性というステップを経て、日常の飲み物として定着していったのです。
『贅沢と欲望の経営史 あなたはなぜ今日もスタバに行ってしまうのか』(坂出 健、光文社)
他方、アメリカ・ブランドの日本適合化戦略の中で日本コカ・コーラが優れていたのは、アメリカのシステムをそのまま輸入しなかったところです。日本の消費者の感覚に合わせて、細かく商品や売り方をカスタマイズしたのです。
たとえば、1975年に発売された缶コーヒー「ジョージア」は、日本人の「苦いコーヒーは苦手」「甘くてミルクの入った温かいコーヒーがいい」というニーズに合わせて独自に開発された日本オリジナルの商品です。
当初、アメリカ本社は大反対しましたが、ジョージアは大成功を収めます。
「ジョージア」は日本で開発されたブランドですが、現在は韓国やシンガポールなど、アジア諸国を中心に海外でも展開されるようになりました。日本コカ・コーラは欧米人とは異なるアジア人の味覚への適応に成功したといえます。
さらに、ライバルのペプシが「大きな瓶」で勝負してきたときも、日本のボトラーが反対する中であえて同じ「大きな瓶」戦略を採用し、販売数を伸ばしました。







