社会問題を大仰に語るより
日常の些細なことのほうが切実
筑紫さんは自著の中にこう記している。
《私は後にこの歌(『傘がない』)を「足払い」の歌だと言ったことがある。「天下国家」をしかつめらしく論ずることが「天下の一大事」と思い込む風潮に向かって、同じ「天下」でもこちらには天から下りて来る雨のほうが問題なのだと、足払いをかけたと思った。――『ニュースキャスター』》
K:筑紫さんが74年にワシントンから帰ってきた時のことですね。この本によれば、「銀座のシャンソンバーに飲みに行ったら、明らかにシャンソンではない、しかし一度聴いただけですぐに心に染み入るような歌を歌っていた。これは何だと傍らの友人に尋ねたら『傘がない』と。その作り手“井上陽水”なる人物を初めて知った瞬間である」と。
Y:ああ、そうだったんですか。
K:『傘がない』は、だから、いろんなものの出発点になったんですよ。
Y:そうなんでしょうね。しかも、シャンソンバーで聴いたというのは面白いな。今日、初めて聞いたけど。誰かが歌ってたんですね。
K:『最後のニュース』を聴くと、ご詠歌だったりレクイエムだったり。とにかく、時代とともに、ますます深みを増してくる歌ですよね。
Y:筑紫さんがコンサートにいらっしゃってると聞くと、『最後のニュース』はなんとなく曲順に入れましたね。
K:そうですか。筑紫さんはそれをすごく喜んでいて、2008年6月に筑紫さんが最後にコンサートにいらした時もやったでしょう?
『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(金平茂紀、講談社)
Y:ええ、やりましたね。あのときは楽屋に僕の好物のカニを差し入れてくださった。「(がんが)性質がわるいやつでね、これから鹿児島で療養するんだ」と言っておられた。
K:でもまあ、本当に歌は好きでしたね。
Y:そうですね。とにかく芸能・文化が好きと言うか……アメリカ生活が長かったとすると、向こうのアンカーマンの幅広い人間性をみたせいかなと思ったり、いやそんなものみなくたって、好きなものは好きだったんだろうなと思ったり、いろいろ思いますね。
K:そうですね。
Y:やっぱり報道する人間は、映画・音楽・美術……いろんな文化がわかってないと話にならんだろう……みたいなね。







