一方で、自分の心と体はひとつしかないのに、ネットワークが多すぎて自分がどこにいればいいかわからないという事態も起こりそうです。過剰なネットワーク網の中で居場所を見失って寂しい思いをすることだって、大いにあり得ます。つながっているはずなのに、自分が希薄になっていくような感覚です。

 自分の居場所くらい、周りに振り回されずに自分で決めよう、と私は言いたい。私のいう「孤独に生きよ」とは、せめて自分のことくらい、自分の頭で考えてはどうですか、という程度の意味です。

ひとりで息をつく
孤独な時間も必要

田中:何も自分で考えずに、朝起きれば今日のあなたの体調はこうで、この天候だからこれを着て、どこへ行って何をして、途中で何を買えばいいかまで、すべてAIが教えてくれる。そうなると、ものを考えること自体がナンセンスになっていく。失敗することや迷うことすら、効率化の名のもとに排除されていく。本当にそれでいいんですかね?と改めて問いたい気持ちはあります。

 私のような作家風情は世の中のはぐれ者ですから、何を言っても大した説得力を持たないのは承知ですが、そんな私の目からすると、世の中の人たちがいま、過剰に孤独を恐れすぎているように映るのです。

 国家、地域社会、会社、家族、趣味の集まり……、人はそれぞれさまざまな集団に属して生活しています。それは当然なのですが、集団に属しつつ個としての自分をちゃんと確保できている人はどれほどいるのか。孤独を恐れるあまり、集団でいることを優先しすぎて、個としての自分を見失っている人が多いんじゃないでしょうか。

 たまに組織や集団から外れて、物理的にひとりになれたとしても、そこでまたみずからインターネットを通してだれかと必死につながろうとする。あれは、本当にそうしたくてしているのでしょうか。

 強迫観念に駆られているように見えてしまうのですが、どうなのか。「こうでなければならない」「みんなこうしているのだから」といった幻影の声に惑わされ、正体のないものの奴隷になっている状態なのではないか。あまりに孤独な時間が長すぎて孤立してしまうのもよくありませんが、ひとりで息をつく時間も人には必要なはずです。