そこで部材調達は、大手メーカーが行い、これを「コスト+利益」で下請けに社給(売却)するも、転売・転用等を防止するため、販売した部品をすべて完成品に組み込んで購入する(買戻し条件付き)一連一体の契約にして行うことが常であった。この有償社給取引の場合は一連一体の契約だったため、会計上部品の販売の時点での利益計上は認められなかった。

 これに対し、バイセル取引は国際取引であったことや相手が資金力のある大手ODMだったこともあり、バイとセルの契約は独立しており、また転売や自家使用も認められた取引であった。

 第三者委員会報告書によれば、2008年9月からバイセル取引による不適切会計=ODM部品の押し込みが始まったようである。2008年9月はリーマンショックが起こった時、まさにリーマン不況の真っ只中だった。この半年ほど前からサブプライム問題の深刻化が起こっており、事業環境が急速に悪化し、〈PC社〉も損益の悪化に直面しているときだった。

 西田社長は、毎月の社長月例のなかで損益見込みが悪化する下光秀二郎カンパニー社長率いる〈PC社〉に厳しい損益チャレンジを繰り返し、下光カンパニー社長を、主要部品のODMへの押し込みで利益を計上し、チャレンジを達成せざるを得ない状況に追い込んでいったと記載されている。四半期ごとにこのようなことが繰り返され、西田社長が社長を退任する2009年6月末には、バイセル残高は273億円まで積み上がったと記載されている。

 2009年6月に新たに社長に就任した佐々木則夫氏は、基本的には利益の嵩上げは減少させるべきと考えていたが、あくまでPC事業の利益によって減らすべきであり、PC事業の損益がマイナスのときには、利益の嵩上げは減少すべきではないと考えていたと記載されている。

 実際に、〈PC社〉でどのようにバイセル残高を管理していたか、東芝が裁判で提出したメールが参考になるので紹介したい。メールでは下光〈PC社〉カンパニー社長と〈PC社〉経理部長および田中久雄執行役上席常務調達担当が連携して動いていたことが窺われる。