本来の実質賃金の引き上げには、
資本装備率と全要素生産性の上昇が必要

 本当に望ましい実質賃金の上昇は、労働生産性の上昇によってもたらされるべきだ。それはどのようにして実現されるだろうか?

 労働生産性の引き上げは、資本装備率(労働者1人当たりの資本量)を高めることと、技術進歩によって実現される。

 このことを、コブ・ダグラス生産関数という簡単な生産関数を用いて示すことにしよう。

 いま、生産物(GDP)Yは、投入労働力Lと資本K、そして全要素生産性(技術水準)Tによって決まるとする。具体的には、Lのα乗と、Kの(1-α)乗、そしてTの積によって表されるとする。

 実績賃金は、労働力が1単位増加した場合の生産物の増加だ。つまり、YをLで偏微分したものだ。前記のコブ・ダグラス生産関数の場合に実際に計算を行えば、これは、資本装備率(労働者1人当たりの資本量:K/L)の(1-α)乗と、全要素生産性(技術水準)Tの積によって決まることが分かる。

 繰り返せば、実質賃金の上昇は、資本装備率の上昇と、全要素生産性(技術水準)の上昇によってもたらされる。これを実現するための地道な努力が行われなければならない。

 資本装備率も全要素生産性(技術水準)も、6月25日の本コラムで、潜在成長率を決める要因として指摘した。そして、これらの変数の伸びは芳しくない。

 だから、実質賃金が目覚ましく上昇しないのは、当然のことなのだ。

実際には、春闘での賃上げと
価格転嫁で名目賃金が引き上げられた

 現実の日本の賃金の引き上げは、次のようなプロセスで行われた。まず、23年の春闘で高い賃上げ率を実現した。つまり労使の交渉によって労働分配率を変えることに成功した。

 そして、企業は、コスト増加分を製品価格に転嫁することによって、賃金引き上げの原資を賄った。それは、次段階に転嫁され、最終的には消費者物価を引き上げることになった。

 そして消費者物価が上昇したため、実質賃金が上昇することにはならなかった。つまり、交渉による分配率の引き上げと、価格への転嫁が名目賃金上昇の基本的なメカニズムでは、実質賃金を引き上げることにはならない。

 これが、ここ数年の間に起こったことだ。

 この過程がいま変わろうとしているのか否か、それを確かめるには、まだしばらくは状況を見る必要がある。

(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)