I教頭は少し黙った。この手の相談は、学校側が一番神経を使う。

 診断があるかないかではない。困難が見えにくいことが難しいのだ。外から見て普通に見える子でも、内側に強い苦しさを抱えていることはある。逆に、保護者が先回りして「この子は難しい」と決めつけてしまうことで、本人の可能性を狭めてしまうこともある。

「合理的配慮」という言葉で
個別の要望を通す親たち

「軽くする、というのは」

「作文の字数を減らしてほしいとか、感想文を毎回は出さなくていいようにしてほしいとか……。あと、記述問題も、できれば選択式にしてほしいって」

「そこまで言われたのか」

「はい……。それで、『合理的配慮ですよね』って」

 その言葉を聞いた瞬間、I教頭は心の中で小さく息をついた。

 いま、学校現場には「合理的配慮」という言葉が、必要な支援を進めるためだけでなく、個別の要望を通すための強い言葉として持ち込まれることがある。もちろん、本当に必要な配慮はある。学校がそれを学び、工夫し、保障していくことは当然だ。だが一方で、その言葉の輪郭が広がりすぎ、学校全体のルール変更や評価基準の例外化まで含めて要求される場面が増えている。

「君はどう答えた?」

「その場では、まず様子を見させてくださいとしか……。でも、お母さんは少し不満そうでした。『今どき、そういう配慮は当然ですよね』って」

 I教頭はうなずいた。

「すぐに“できる・できない”を言わなくていい。まずは本人の授業中の様子を見よう。どこでつまずくのか、どこまで書けるのか、支援があると変わるのか。それを見ないまま、“発達障害だから全部軽くします”とも、“そんなの甘えです”とも言えない」

 若い教師は、少しだけ表情を緩めた。

「ただ」とI教頭は続けた。

「作文を一律に外すとか、記述を全部選択式にするとかは、個別配慮を超えて評価の原則に関わる。そこは慎重に考えないといけない。必要な支援と、ルールそのものの書き換えは違うからな」

 彼女は深くうなずき、メモを取った。

 だがその目にはまだ、不安が残っていた。

 きっとこう思っているのだろう、とI教頭は分かった。