もし断って、親を怒らせたらどうしよう。もし受け入れすぎて、他の生徒との公平性が崩れたらどうしよう。

 学校の若い教師は、こういう板挟みの中で消耗していく。

「習い事があるから宿題を減らして」
学校はどう答えるべきか

 その日の放課後、今度は二年生の数学教師が相談に来た。

 彼は学年の中堅で、部活も持っている。普段は多少のことでは動じない男だったが、その日は珍しく苦笑いを浮かべていた。

「すみません、また保護者絡みで」

「何だ」

「2組の保護者から、“習い事があるので宿題を減らしてほしい”って言われまして」

 I教頭は思わず、聞き返した。

「習い事があるから?」

「はい。英語も塾もピアノもあって、平日は帰宅が遅い。今の量では回らないから、家庭学習の負担を調整してほしいと」

「子ども本人の訴えか」

「いや、お母さんです。“今の子は忙しいんです”“学校はまだ昭和の感覚で宿題を出している”って」

 教師はそこで少し笑った。笑ったのは、おかしさよりも、困惑をごまかすためだった。

「それで、君は」

「家庭での事情は理解します、と。ただ、宿題は授業の定着のためのものなので、個人の習い事の予定だけで減らすのは難しいと伝えました。そしたら、“学校だけが子どもの学びじゃないですよね”って返されて」

 I教頭は、机の上の付箋に目を落とした。

 習い事があるから宿題を減らしてほしい――これもまた、完全に理不尽とは言い切れない要求だった。今の中学生は本当に忙しい。学校が終わってから塾へ向かい、さらに英語や音楽やスポーツの教室を掛け持ちしている子も珍しくない。保護者は、そこまで含めて「うちの子の生活」を必死に回している。だから、学校の宿題がそのスケジュールを圧迫するなら、減らしてほしいと言いたくなる。

 しかし、その論理を学校がそのまま受け入れ始めたら、宿題はもはや学習課題ではなく、各家庭のスケジュール調整に従属するものになってしまう。

「これは断っていい」とI教頭は言った。

「ただし、冷たく断るんじゃない。宿題の意味を丁寧に説明すること。量が過剰かどうかは教師側で見直せる。けれど、習い事の多さを基準に個別に減らすことはできない。そこを分けて話すしかない」

 数学教師は「ですよね」と言いながらも、すっきりしない顔をしていた。