この視点からすれば、ほどなく中国がある程度まで民主化することは、すでに世界で起きている出来事と比べてもあり得ないことではなかった。

 中国にアメリカとの通常の貿易関係を認め、アメリカ市場へのアクセスについて1年ごとの形式審査を廃止する法案は、民主党のビル・クリントン大統領によって議会を通過した。しかし、のちに共和党から大統領になる政治家も同様に積極的だった。

「貿易の意義は、経済だけではなく、人々の心理面にも影響を与える。経済的自由は自由を尊重する精神を生み、自由を尊重する精神は民主主義への期待を生む」とテキサス州知事ジョージ・W・ブッシュは大統領選の選挙活動で語った。11日間の審議を経たのち、中国貿易法案は83票の賛成で上院を通過した。

「自由貿易が共産主義を覆す」
楽観論が招いた米中関係の亀裂

 中国に対するクリントンの認識が改まるのには時間がかかった。1992年の選挙戦でブッシュが天安門広場の民主化運動を弾圧した中国指導者らに「使者を送り乾杯を交わした」ような、「独裁者を甘やかす」態度は決して取らないと約束していた。

 しかし実際のクリントンの姿勢は、人権の尊重を条件に貿易特権を与えることを意味していた。アメリカ市場の規模を考えれば、商業的利益をちらつかせることで中国に反体制派への扱いを改善させられるとクリントンは信じていた。「彼は、アメリカの国力をもってすれば、中国に圧力をかけて人権問題などの政策転換を迫れるだろうと考えていた。それはかなりの無知を露呈していると、当時の私には思えた」と、のちにクリントンの国家安全保障会議スタッフに加わった中国の専門家ケネス・リーバーソールは語った。

 のちの大統領たちも同様だが、クリントンは中国指導部が内政問題と見なす領域の権限についてはかたくなに守ることを思い知らされた。いかなる中国指導者も、人権問題で外国の圧力に屈する姿を見せられないのだ。

 中国政府との度重なる無益な対立を経て、クリントンはついに自らの誤りを認め、1994年5月に正式な交渉を放棄した。以降、議会は毎年、中国製品に対してルーチンで貿易特権を承認するようになった。中国政府は1発の銃弾も撃つことなく重要な戦いに勝利したのである。