議会内の政敵と過敏な外国勢力とのはざまで、クリントンは苛立っていた。「私たちは彼らの内政状況を理解し、政策に反映させるために全力を尽くしている。なぜ彼らは私たちに対して同じことができないのか?」。大統領はそう吐き捨て、議会との対応は「遊園地のびっくりハウスにいるようなものだ」と付け加えた。
江沢民が心を動かされた
クリントンの振る舞い
10月に江沢民国家主席が国連を訪問する予定のため、クリントンは両国関係の悪化を「憂慮している」と語り、「彼が訪米した際に非難を浴びるような事態は避けなければならない」と議会の中国批判派を牽制した。
結局、クリントンと江沢民は年次国連総会の開催期間中に、ニューヨークのリンカーン・センターで会談した。「議論の大半」は貿易問題に費やされた、とワシントン・ポストは報じている。
問題は、中国のWTO加盟への道を開くための交渉だった。アメリカ製品に中国市場へのより広い門戸を開く代わりに、アメリカによる中国の貿易特権の年次審査の終了、つまり公式用語で言う「恒久的正常貿易関係」を求めるというものだ。
1998年6月、クリントンは9日間の日程で中国を訪問し、北京、上海、香港を訪れた。しかし、貿易問題についてはあまり進展が見られなかった。クリントンは記者団に対し、WTOに加盟すると競争力のない国有企業で何千万人もの労働者が必然的に職を失うことを中国の指導者が心配していると語った。
『グローバリゼーションは失敗だったのか 上』(デイヴィッド・J・リンチ著、寺尾時彦訳、原書房)
それにもかかわらず、クリントンは江沢民との会談で明らかに高揚していた。1993年にシアトルで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議で初めて会ったとき、二人の関係はぎくしゃくしていた。ミッキー・カンターは、「私が知る限り、ビル・クリントンが行った最もよそよそしい最悪の会談」と評している。二人は形式的な発言に終始するだけで、何も解決しないままだった。
しかし、クリントンは結局、この年長者の警戒心を解くことができた。その後ワシントンで開催された共同記者会見で、江沢民が誤って書類を床に落としたとき、クリントンはすかさずかがんでそれを拾い上げた。この礼儀正しさに、中国国家主席は感銘を受けた。
1998年の訪問の最後に、民主的な中国はあり得ると思うか尋ねられ、クリントンは「あり得るどころか、必ず実現すると信じている」と熱く語った。さらに彼は、江沢民と朱鎔基首相こそがそれを実現する指導者となり得ると語った。







