オビオン郡の名前は、州の端を流れる川から取った、「多くの分岐点」を意味する先住民語に由来する。この郡は、1818年にアンドリュー・ジャクソン将軍がチカソー族から購入した、ケンタッキー州とテネシー州西部の地域の一部である。初期の住民のなかには、米国下院で地元のスコットランド系アイルランド人入植者を代表したデイヴィー・クロケットもいた。最初の入植者は、カロライナ州やバージニア州からの農民たちだった。鉄道の開通により、オビオンは製造業と商業の中心地になった。

 グリアは、ケンタッキー州とテネシー州の州境にまたがる人口約2500人の町、サウス・フルトンで育った。彼の母親は地元の工場で働き、父親は電気店の店員だった。「グッドイヤーはこの地域では最高の職場だった。おれは死ぬほど嬉しかった」と彼は言った。「グッドイヤーと自分には個人的なつながりがある、と本当に感じていた。出勤し、やるべき仕事をし、本気で取り組めば、グッドイヤーもそれに見合った対応をしてくれる。たっぷり給料を払ってくれ、手厚い福利厚生があり、おれにいつもよくしてくれる。長いあいだ、愚かにもそう信じていた」

 グッドイヤーの工場で日々行われていたのは、中国が資本主義開放の第一波で狙った基本的な製造業だった。中国が成長するにつれ、その影響はアメリカの中心地にも及んだ。オビオン郡のような地域の人々は、台頭する製造大国との激しい競争に直面することになった。そして多くのアメリカ人が、中国は不誠実だと感じていた。中国はアメリカ当局に対し、市場経済を受け入れると約束した。しかしその成長は、手厚い国家の助成金、過小評価されている通貨、権利をほとんど認められない低賃金労働力によって支えられていた。

中国製タイヤの流入が
工場の閉鎖を加速させた

 2004年から2008年にかけて中国製の乗用車用タイヤの輸入は3倍以上増え、4500万本を超えた。中国製のタイヤは、アメリカ企業が自社製品製造に必要なゴムや化学薬品を購入する原価費用とほとんど変わらない価格をつけられてアメリカで販売されていた。国内では少なくとも4つのタイヤ工場が閉鎖された。テキサス州タイラーにあるグッドイヤーの別の工場もその一つだった。