グッドイヤー撤退が
町に残した深い傷跡
当初、グッドイヤーは2011年末までにユニオンシティ工場を閉鎖する計画だった。しかし、その年の7月4日の連休直後に突然操業を停止した。ほかの工場への生産移行が想定より早く進んだためだったとクレイマーは説明している。工場で32年間、うち四半世紀は夜勤で働いていたキース・“スクイズ”・ロバーソンは、8週間分の退職金を受け取って引退した。
ロバーソンはグッドイヤーで40年間勤めあげることを目指していた。そこまで働けば、2人の娘を大学卒業まで養えると考えていた。年金の足しにするため、彼は高校の用務員として、グッドイヤー時代の給料の三分の一にも満たない時給8ドルで働き始めた。同僚のなかには大豆や小麦、トウモロコシ栽培に戻った者もいた。
ロバーソンは工場閉鎖の元凶を調べ、複数の要因を見つけた。グッドイヤーは長年にわたりタイヤ製造工程の一部を自動化し、雇用を減らしてきた。中国からの低コスト競争が収益を圧迫していた。それなのに経営陣の報酬は年々増えていた。2010年4月にCEOに就任したクレイマーの総報酬は、その年の1010万ドルから2013年には1920万ドルに跳ね上がっていた。
「グッドイヤーは経営陣の懐をあたためるため、可能な限りの節約を図ってきた。安価な労働力がほしいなら、経営も中国に移せばいいじゃないか」とロバーソンは言った。
『グローバリゼーションは失敗だったのか 上』(デイヴィッド・J・リンチ著、寺尾時彦訳、原書房)
ユニオンシティの業務の一部はチリのグッドイヤー工場に移管されたとUSW地方支部長で33年勤続した古参社員ワゴナーは説明する。しかし彼は最終的な責任は別のところにあると考えていた。「中国製タイヤの流入がなければ、ユニオンシティ工場もガズデン工場もまだ稼働していただろう。それは言っておく」とワゴナーは言った。
グッドイヤー工場の閉鎖は地域経済に深刻な打撃を与えた。週約200万ドル分の給与支払いが消滅し、地元の金型工場やそのほかの業者でさらに2000から4000の雇用が危機にさらされた。グッドイヤーが撤退する前から、郡の製造業の雇用は10年のあいだに徐々に減り続けていた。しかし、工場の閉鎖によって減少は加速した。
2017年までに、2001年にオビオン郡に存在していた雇用の三分の一が失われることになる。郡内の工場の雇用の四分の三が消滅した。州全体の減少は約三分の一だったので、それよりはるかに大きな打撃となった。そして、ケント・グリアのように新しい仕事に就けたとしても、結局は収入が減ってしまった。2014年になっても、この郡の製造業の平均賃金は2001年よりも低かった。グッドイヤーの工場が閉鎖してから10年以上経っても、郡の失業率は州全体の数字よりも1パーセント近く高いままだった。







